カール・シューリヒトとドレスデンフィル

文:ヘルゲ・グリュンヴァルト (小林 徹 訳)

ケンペン辞任の後1942,43年のシーズン、ドレスデンフィルの公演活動は何人かの客演指揮者たちの手に委ねられた。
それは、オットー・マツェラート(カールスルーエにあるバーデン州立歌劇場の音楽監督)、 ベルナルディーノ・モリナリ(ローマアウグスチヌスオーケストラの主席指揮者)、 クルト・アイヒホン、そしてもっとも重要な役割を担ったカール・シューリヒトらである。 シューリヒトは終身客演指揮者といえるような立場であったため、非公式ながら主席指揮者としての 活動が期待されていた。実際彼の貢献により、オーケストラの質が保たれ、次第に困難さを増していた戦時下においても 公演を続けることが出来たのである。そうしたことから、1944年7月に彼がケンペンの後継者として任命されたのも当然のことであろう。 しかし彼はその新しい地位を引き継ぐことは出来なかった。戦争がさらなる公演活動を許さなかったからである。 ゲッベルスの「全面戦争」宣言の後、すべての芸術活動は停止されドレスデンフィルは解散させられた。 楽団員のうち多数は軍隊へと徴集され、残りの者は軍需工場へと送られた。
1944年の秋、シューリヒトはドイツを離れスイスへ移った。
1945年2月13日夜の大掛かりな空襲により、成功に満ちたドレスデンの音楽の歴史に一時的な終止符が 打たれることになった。オーケストラの家であるGewerbehausは、町とともに瓦礫と化したのである。

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