花菖蒲あとがき


この中にをさめた短篇は、いづれも近頃の「週刊朝日」と「サンデー毎日」に 発表したものばかりです。
ただ、「花菖蒲」一篇だけは、大正五年私の廿三歳の時に書いたもので、 最初の意図は、四五百枚の長篇を志したのですけれど、やうやく三十枚ばかりのところで、 たぶん家人に見つかって叱られたのでせう、ぷつんと切れてしまってゐます。 私はその頃、筆を捨てるといふ約束で結婚したばかりでしたが、その中にどうしても 我慢ができなくなって、内しょで書き出しかけたのでした。原稿紙を百枚とぢて、 鉛筆で走りがきしてあるところをみると、夜中にでもそっと起きて書いたものでせうか。
二三年前、昔のものでもいいからといはれて、そのままある雑誌に発表し、 活字になったのを眺めてゐると、二十年前の情熱がふたたび蘇ったやうに、 胸とどろく気持でした。五百枚の書かれなかった「花菖蒲」は、そっくりそのままの姿で、 いまなほ私の心に生きてゐます。私はいつかはそれを書きたいと思っています。
生命さへあれば、―私はさう思ふのです。病弱なからだで、温室の花のやうにかこはれて、 やっと今日まで生きてきた私は、ただ、生命さへあればと思ふのです。生命さへあれば、 いつかは天が私にそれを書かせてくれますでせう。もしまた明日にでも召されるなれば、 ―それならそれで是非もありませぬ。私はただそれだけの人間でしかないのですから。

昭和十四年一月十日

森田たま


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