葛西善蔵

最終更新日 2006.5.16


「青い顏」(「新潮」三〇巻五號)評

 昨日今日にかけて讀んだ作品は何れも好い作ばかりだつた。江口渙氏の「水田良吉」(雄辯)もその一つ、そして葛西善藏氏のこの「青い顏」もさうである。葛西氏のこの作は藝術品の表現美を求めようとする人には、或は縁なき作品であるかも知れない。然し内容眞を味はうとする人ならば、恐らく彼は作者が極めて平凡な世俗生活の一面を捉へながら、惜み過ぎると思ふばかりの簡素な緊縮された表現の内に、如何に鋭く人間性の眞實を窺ひ得てゐるかを感得するであらう。そしてまたこの作者が、如何に獨自の個性の閃きを作の背後に持つてゐるかを知るであらう。私は初めて讀んだ氏の「ラスネール」には失望したが、次のこの作に於てそれを打ち消し得た。模倣に生き、巧さを衒ふのみの卑俗な才子作家の多いこの頃、氏が自らの世界に生きる尊さを深く思ふ。

南部修太郎「若葉の窓にて―五月號創作の印象―〔五〕」讀賣新聞第一五一二二號 大正8・5・7


葛西善藏を弔ふ

南部修太郎
 葛西善藏に就いてはもう色々な人達が筆を執つた。廣津和郎氏が「改造」に寄せた文章などは出色なもので、私は尠からず感心して讀んだ。
 葛西善藏と私とは殆ど縁故がなかつた。ただ何かの會合で一度顏を合せ、お互の持病である喘息に就いて數語を交へた。
「全く苦しい病氣で、閉口ですね。」
 そんな事を私が言ふと、
「うむ、全く……」  といふ風に短く答へて、彼は口邊にひどく陰鬱な感じのする苦笑を浮べた。
「子をつれて」一卷に収まつた彼の作品を私は可成り愛讀した。が、それ以外私は彼の作品をさほどに愛讀した覺えはない。と言つて、私はそれ等を眼に著く限りは讀み缺かさなかつたのであるが、すべてがあまりに斷片的なのが十分な感興を誘ふに足りなかつたのだ。そして、如何にも反健康的な生活がその創作力を傷つけつつある事を感じて、何か無氣味な暗さを覺えるのが常だつた。
 葛西善藏は一時老獪だといふやうな評語を投げられてゐた。これは東北人なるものの性格を綜合してみる時、必ずしも當らない詞ではなかつたらう。少くとも、彼が書いた批評を、いや批評的な文章を讀むと、その着眼などにはちよつと一筋繩では行かないと言つたやうな感じがあつた。少くとも、直情逕行とか、純眞とか言ふ性情ではなかつたに違ひない。根が恐ろしく強情で、執着力が強く、融通が利かず、可成り人を食つたやうな所と田舍人らしい粗野なユウモアの持主で、變な才氣を備へてゐなかつたのは彼を或る型の東北人の厭味から救つてゐたやうだ。
 名人肌、さういふ詞は何か明るい、すがすがしい響を持つてゐる。で、さういふ詞を與へるには葛西善藏の感じは如何にも重く暗い。少くとも、或る作品に於ける彼の存在は冬の曠野を足音重く辿つてゐるやうな一種の寂しさを持つてゐた。けれども名人肌といふ詞を非常識で、融通が利かず、時に甚だしく豪慢で、それ以外に生きる道を知らないといふ風な人間の評語と考へれば、現代の作家の内で彼は恐らくその詞にふさはしい隨一人であつたらう。その寡作は一面では自ら傷つけた不健康な體力のせゐだつたとは言へ、一面では内に一見識を持つて藝術製作に精進した反映だと思はせぬでもない。
 誰ぞ、藝術の孤城を守るものは?
 さういふ氣持がこの頃時々私の胸を刺戟する。そして、その戰士らしく思はれる(入力中)

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