川端康成が後に作家として大成することになるそもそものきっかけは南部修太郎の存在であった、と言うと驚かれるかもしれません。中村光夫氏が執筆した「日本近代文学大事典」の川端の項にも、二人の関係について全く言及されていませんから、知られていなくても不思議ではありません。しかし彼と修太郎の関係は、「三田文學」の南部修太郎追悼号に彼自身が寄せた「最初の人」という追想文に見ることが出来ます。
……當時まだ田舍の中學生であつた私が、文學を志してよいかどうか、手紙で教へを乞ふた、ただ一人の先輩は南部氏だつた…… 幼い頃に両親を亡くし親戚の世話になっていた川端には、文科に進学するために従兄の許しが必要でした。その際に意見を求めるべき相手が、従兄とは中學時代に友人であった南部修太郎だったそうです。
……自分の前途の運命が、不當にも南部氏の掌中に握られてゐるやうで、私は不服であつた。 しかし従兄の了解を得るために、彼は南部宛に手紙を書きました。「不服まじりの哀願状」と彼が呼ぶ手紙に対して、南部からの返書は川端にとって意外なものだったようです。
……ところが思ひがけなく、南部氏の返書は親切な言葉に溢れ、寧ろ私を励ますと受け取れるものであつた。その時の喜びを忘れることは出來ない。文學を志さうとする少年のいろんな不安は、一時に吹き拂はれた思ひであつた。
「最初の人」は、新潮社版「川端康成全集」第29巻に、「南部氏の作風」(初出:大正十年十月「新潮」)とともに、収録されています。
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