若葉の窓にて ―五月号創作の印象― (五)
南部修太郎
芥川龍之介氏の「きりしとほろ上人伝」は今月をもって完結している。私はこの作において、氏がいかなる表現に苦心しているか、また氏がいかにスタイリストとして優れた技能を持っているかをしみじみ感じさせられた。そしてこの如き特殊の取材を扱いながら、飽くまでも読む者の心を興味の内に惹き附けて、ロマンティック・ファンタジイの境地に魅して行くところ、けだし氏ならではの壇場であろう。しかし、こうした所謂「れげんだ・おうれあ」物は、技巧の洗練と形式美には讃歎し得ても、その創作的動機が氏のある趣味以外に出ていなさそうなのが飽き足りなく感じられる。即ち忌憚なく言えば、それは余りに智巧的で、作そのものとしては面白味、巧さという以上のものを私の心に思わせないからである(新小説)。が、この作の後、「私の出遇った事」に含まれた「蜜柑」「沼地」の二小品を読んだ時、私は初めてほんとうの(少なくとも私には)氏の心の世界へ引き入れられた喜びを感じた。ともにいささかも表現に無駄のない、作者の人間的な心持ちの温く染み出た作品である。無論、しばしば深刻とか偉大とかを標榜する人道的意味のものではないにしても、トルストイがチェホフのある小品を指して「これは真珠のような愛すべき作品だ」と言ったような心持ちで、私はこうした氏の作品により強く心を惹かれるものである。
(大正八・五・七「読売新聞」)
底本:角川文庫「舞踏会・蜜柑」
昭和43年10月20日初版発行
平成15年6月5日36版
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