明治二十五(1892)年十月十二日 | 仙臺で生れた。父常次郎(拓務省技師)、母アキ(銀林鋼男の長女)の長男。 土木技師である父の轉勤につれて東京・神戸・熊本・博多・長崎と轉住した。 |
明治三十二年四月 | 長崎市立勝山尋常小学校入学(長崎には住むこと七年、小學校課程の大半をこゝで過し、少年時代の追想の懷しい町である。) |
明治三十六年四月 | 長崎県立師範学校付属高等小学校進学 |
明治三十八年五月 | 父の轉勤とともに東京に上り、麹町区永田町に転居(のち麻布區新龍土町十二、現在は港区六本木七丁目)。赤坂小学校高等第三年級に転学。 |
明治三十九年四月 | 東京の私立芝中學入学。 |
明治四十四年三月 | 芝中學卒業。 |
明治四十五年四月 | 慶應義塾大學(純文学科予科)入學。文學科露文學を専攻。 |
大正二年(1913)秋 | 井汲、小島らとともに回覧誌"Ku fin"を作る。 |
大正三年八月 | 長崎旅行。 |
大正五年 | 妹ヒサ夫妻を苫小牧に訪ね、北海道一周を試みる。函館郊外の修道院を訪れる。 |
大正六年三月* | 慶應を卒業。 |
同年六月 | 外国語学校専修科に入りロシア語を学ぶ。「三田文學」編集主任をつとめる。 |
大正九年四月 | 「三田文學」編集主任を水木京太に引き継ぐ。 |
大正十一年九月から十月 | 北京や上海を旅行。 |
大正十二年五月 | 府立第一商業学校校長陶山氏の長女菫と結婚。 |
大正十三年二月 | 長男淳一郎生まれる |
大正十五年一月 | 次男亮二郎生まれる |
昭和三年秋 | 九州旅行。 |
昭和十一(1936)年六月十六日夜半 | 脳溢血のため邸前に倒れ、二十二日午前九時逝去。享年四十五歳。港区南青山 青山霊園1種イ22号1側に埋葬される(修文院釋樂邦信士)。 |
参考資料 | |
1 | 『自分のこと』「新進傑作小説全集月報第七號」(南部修太郎集・石濱金作集付録) 平凡社1930(昭和5)年2月15日発行 |
2 | 現代日本文學全集85「大正小説集」 (筑摩書房 1957(昭和32)年12月20日發行)収録の年譜 |
3 | 「三田文學」 1936(昭和十一)年八月「故南部修太郎追悼号」 |
4 | 「近代文学研究叢書41」 昭和女子大学近代文学研究室編(昭和50年刊) |