最近の創作を読む 六

南部修太郎


 芥川龍之介氏作「南京の基督」――中央公論 novelist でなくて fictionist ―― 一面において 腕達者なその fictionist である芥川氏は時々この作のような小綺麗に小器用に纏め上げた fiction を 書いて、気持よさそうに遊んでいる。作者に心の動きがないと言われるのは、恐らくはこうした作品に 対してであろう。で無論この種の作品から心にアッピイルする何物かを得ようなどとは私は思わない。少々作者の遊びも薬が利き過ぎるとは感じるが……。とにかく、支那のある年若な売笑婦が梅毒に罹っている。それが、彼女の信仰している基督によく似た西洋人に肌身を任せることによって、一夜にケロリとなおってしまう――そうしたいかにも嘘らしい事実を、いかにも嘘らしくなく、そう不自然な気持も起させずに、一面にこの作者独自の芸術的陶酔を読者に感じさせながら手際よく書き上げて見せている。結末に近くその西洋人を「日本人と亜米利加人との混血児で、名前は確か George Murry とか言った」などと、いかにも現実がかった添書を加えたのは fiction らしい幻想を破ってしまうので無用だと思うが、いずれにしても作者の冴えた筆達者さは気持がよい。巧いものだと言いたくなる。が、この作はただそれだけのものに過ぎない。

(大正九・七・一一「東京日日新聞」)
底本:角川文庫「舞踏会・蜜柑」
昭和43年10月20日改版初版発行
平成10年4月10日39版


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