江馬 修


 江馬修は、その著「受難者」の中に川浪道三・仙子夫妻との交流を記述しています。 その中から、道三(=土屋)と仙子(=照子)の間の冷やかな雰囲気を伝えるエピソードをいくつか書き出すと、

82ページ上段

その時照子さんが不意に土屋の顔を見て、笑いながら聞いた。
「あなたは初めて私を見た時、私を運命に遣わされた女だと思って?」
「どうだかなあ! 僕の一生を苦しい惨めなものにするために 遣わされた女に会ったと思ったかも知れないなあ。」
 自分達は一様に笑い出した。しかし照子さんは笑いながらも 真剣な調子で云った。
「あなたは私を運命に遣わされた女と思わなかったばかりで無く、 きっと強いてそう思おうともしなかったに違いないと思うわ。」
 三人はいつか笑い止んだ。そうして土屋の渋面つくる事によって この話はお仕舞になった。

158ページ上段

……そうしていかにも不幸な結婚に悩んでいる女の調子で、
「私できるだけ結婚は遅い方がいいと思うわ、ほんとに未だ 一緒にならないで離れているうちがいいのよ、」と姉らしく 忠告した。恐らくこの言葉は彼女としてはもっともだったろう。

175ページ上段から下段にかけて

この時分土屋が自分の所へ来てこう云った。
「きょう照子がこんな事を云うのだ、君を綾子さんに取られるのは いやだって。照子には僕というものがあるのにそんな事を云われては 不愉快だったから叱ってやった。」
 さすがに自分も驚いた。そうして何の反省も無く極めて無邪気に 冗談のつもりで笑いながら云った。
「そう。しかし僕は大変割の良い役目を割当てられたもんだね。」
 然し土屋は笑わなかった。そうして極めて真面目に答えた。
「ほんとにそうだ!」

196ページ下段

彼女は土屋について色々話した。
「私はなんと言っても誰より土屋を愛していますわ。しかし私の愛が 土屋の要求するような献身的な一分も隙のない愛だということは出来ませんわ。 要するに私があの人をどこまでも信じて、あの人を尊敬して、 あの人のために潔く犠牲になることができたら、あの人も満足だし 私も嬉しいのですけれど、それが私にできないから悲しいのですよ。 私だってもう何もかも投げ出してただあの人のために生きているような 女になろうと決心して、その決心に自分で涙ぐむような心持になることも あるのですけれど、あの人はまるでそういう私の心持ちを見ないで、 ただ私が荒々しく無神経にあの人を虐待するように思ってるのですわ。 私がいっそ綾子さんのように夫を侮辱しても欺いても、 それが当たり前のことのように問題にしないでいられるような妻だったら、 こんなにまで苦しまなくても良いのですけれどもね。それに、」
と彼女はしばらく言葉を途切って、
「土屋はいったいどうするつもりなんでしょう。あの人はもうこれから 文学一方になって原稿で生活するつもりで職を探さないでいるんですよ。 あの人もせめて、とにかく原稿が出来さえすれば売れるようになっていると 良いのですがね……。今月だって私が何もかせがないからちっとも 金の入る見込みが無いのよ。だけどいいわ、私は黙って何でも あの人のするとおりさせてみようと思っているわ。どうせ苦しむだけは 苦しまなくちゃならないのだから……。」

211ページ下段

「私には一面自分でもどうする事もできないような、意地っ張りな、 強情な所のあるのはよく知っています。だけど私がその悪い癖を出した時に、 じっと温かい優しい心で私をつつんでくれるものがあると、私はすぐ泣き出して 涙をきっかけに素直になってしまうことができるんですよ。それだのに 土屋はそんな時却って私の強情を煽るような態度に出るのです。……」

江馬 修「受難者」 (1916年6月24日脱稿)
(江馬修作品集4 1973年10月 北溟社刊)より


 読まれた方はお気付きかと思いますが、水野仙子の著した「道」の中にAとしてたびたび登場する青年が江馬です。 そう、仙子がよろめきかけた青年なのです。「受難者」の中では、それほどはっきりとした進展を見せていない二人ですが、、。
 興味深いのは、「道」の初出誌中で仙子の名前は「受難者」中と同じ「お照」であったのを、夫川浪道三が「水野仙子集」を出版するに際して「お光」と変えていることです。 ここには夫の意地というか執念を感じてしまいます。それでも、同じ意味合いの漢字に置き換えているのは道三の良心でしょうか。


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