【更新】雑誌「北方文芸」(昭和45年3月号)掲載の林原耕三「素木しづ子の手紙」に四月三十日以降の手紙も収録されていましたので追加掲載しました。
ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
(大正三年)四月二日夕 牛込南榎町三九 素木しづ
先日は失礼いたしました。さく日の夕方私は修禅寺から帰つてまゐりました。
今朝先生の所へまゐりましたところが英語を今度あなたにおそはつた方がいゝつて申ましたから番地を聞いて来ていまこの葉書を書いたのです。如何で御座いますか、そしてどういふ風に御稽古を致しませうか、いろいろ/\御相談いたしたいと存じますから、明日でも御ひまで御出でしたら一寸家まで御出下さいませんか、御まちして居ります。その時、自画像を御たのみ致します。雨がまた降り出しましたわ、 さよなら
ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 四月六日夕 素木しづ
今度私が突然に一人で八丈島に行かなくつてはならなくなりましたのでいろ/\あちらの様子を承りたいと存じますので一度私の家に御出下さるわけにはゆきませんでせうか、まことにいつも勝手なことばかり申ましてすみませんですけども、どうぞ/\お願いたします。
ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 四月六日夕 素木しづ
一足ちがひで行きちがひになつて、本当に残念で残念でたまりませんでした。わたしは森田先生の所に伺つて、先生の所で貴方への御葉書をかいて、途中出しておたまさんの所へ行つたのです。おたまさんのところでお友だち逢つて、御飯をたべて、家に帰つて来ると、そんなに早く葉書がついたのかしらと驚いちまつたのです。御忙しい所御気の毒で御気の毒で、もうあしたも御出にならないかと心配して居ります。もう出ませんの、いつ入らして下さるかしら、なにしろおまちして居りませう、自分勝手に、なんだか貴方が八丈しまに御出になつたといふ事を伺つて、安心したんです。いづれ御目もじの折に、おわびまで。
ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月七日夜
今朝はまことに失礼いたしました。本当に御出下さつたことを嬉しく存じました。いろ/\御免動なことを御たのみ致しまして、来月に島に行くまで精々養生致しませう、貴方が御帰りになつたあとなんだか非常に興奮してしまつて、すぐ床の中に入つたは入りましたがなんだか解がわからずに夜になりました。もう気分が精々して気持がいゝんです。雨が降つていやになります。さよなら。
封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月九日午後
きのふからずつと床のなかに居ります。御葉書今朝拝見いたしました。いろ/\御世話さまになりまして、御気の毒でなりません。
わたしはだん/\身体がだるくなつて来て、血も一日に一度か二度必ず出ますのでこまります。いまのうち静養してなければ八丈しまにゆけなくなりますので床のなかに居るんですけれども静かにしてればしてゐる程、しみ/゛\と胸のなか痛さや、淋しさが解つて来て、たへられないのです。なんとなく絶望のこゝろが胸一ぱいにおしよせて来るんです。床のなかで貴方の長い/\御手紙をくりかへしくりかへしいたしますが心が空虚になつて只眼が字をたどつてるにすぎなくなるんです。いろんな事書きたいんですけどいま手がくたびれてくたびれて、これだけやうやく書いたのですから、この月[いっ]ぱいは家に安静にしてゐて、来月は一日でも早くしまに行きたいと思ひます。家の人もみんなそうきめました。どうぞ御願いたします。
母からもよろしくと申されました。
さよなら。
岡田さま 素木しづ
なぜ貴方が不意に、私のしまゆきに対していろんな御世話になるやうになるんかと考へました。
ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月十七日午後
毎日/\よい御天気ですね。
私今日病院に行つて書く事を許されました。
貴方はいつ御出になつて下さるんでせう。二三日してから御出になるつて書いてあつたのでそりやおまちしましたわ。反響*御らんになりまして。
さよなら
*「反響」は、生田長江らが刊行した文藝雑誌
ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月二十一日午後
またあなたが御出の日がまち遠しくなりました。来ていたゞけると思ふと私の心はいけないんです
四月二十一日午後
封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月二十四日
あたし岡田様にはしばらく御手紙を書かないつもりで居りましたけれども、
あの葉書をかいたあと、私は本当に我儘だと思つてしまひました。そして御出になられる時にはいらしやるんだと思つて床のなかに居りました。このごろは熱いので夕方になつてから窓をすつかりあけて、門の上の方の電線の中から星を二つ見て、黙つて居りました。
星が一つは赤く一つは青く見えました。そしていつかねました。翌朝めをさますとちやんと雨戸が立てられてありました。
そのつぎの日も星を見てねました。やはり赤いのと青いのと、その日はむやみに人が表を通るらしいんです。足音がひつきりなしにしました。そして私はだまつて聞いて居りますとみんな片足をひきづるか、また跛者のやうに片方の音がひどく響くんです。私はいつまでも耳をすまして居りましたが皆々そうなんです。
どうしてみんな足が悪いんだらう、随分足の悪い人が居る、と思つてねてしまゐました。
あなたが御出になつて御帰りになつた夜からこの頃は夢ばかり見ます。岡田さんが御帰りになつて一人で床のなかに入りますとひようし木がしました。そのばんはこわい夢を見ました。そして翌朝森田先生に手紙を書きました。
きのふ木曜日(注:漱石山房の面会日)で御出になるかと思つてました。晩に森田先生が入らして嬉しかつたんです。きれいな西洋ばなをいたゞいていま机の前にかざつてあります。反響の小説は人が来たりねむつたりして十九日までかゝずにその日八枚ばかりかいたらいやになつてよしました。で前にかいてある十一枚ばかりのをさし上ました。それはみんな空想で書いたのでした。
先生はよくもないしわるくもないと申されました。
それから歌の原稿をくれつて云はれましたので去年の歌を書きましたらなんだかいやでしたからよして詩にしました。岡田さんが居らしたら岡田さんに見ていたゞいていゝと云つたら先生の所へ上げやうと思ひましたがいらつしやらないのでいま上げやうと思ひます。たれか一人いいとおつしやつて下さると安心して雑誌に出すことが出来るんですから、私の身体はなんでもなくなりました。
きのふ御天気がいゝので床を上げて布団をほしました。私は帯をしめて、ちやんと座つて着物を縫ひました。
そしてばんまで帯をしめて座つてました。
帯をしめると心がしつかり致しますね、
私岡田さんの事をすつかり知つてましたのに、そんなに、御葉書でも無理して下さらなくつてもいゝの、
本当にゆつくり入らつしやれる時に家に入らつしやいな、日曜でしたら、六時頃から夜の方がいゝの、
貴方は本当にどんなに御心配なんだらうと思ひましたわ、けれども岡田さんはそんなに御心配じやないらしいのね、貴方の事を考へたら私なんて一寸もかなしむ必要がないと思ひました。
もうなんにも気にかけない事にしてますの、先生の所に来てから一年になりますわ、
この月一ぱいどこへも出ない事にしてます。
二十九日頃病院にゆきませうと思つてます。
岡田さん さよなら
素木しづ
岡田耕三様
四月二十四日あさ
封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月二十八日夜
あめがやんでなんだか淋しい風がふきます、
せんじつは御出下さいましてありがとう存じます、お帰りは電車が御座いまして、
きのふ津田先生の所にまゐりまして、一日おもしろい日をすごしました。先生のおかきになつた御手紙があなたの所へまゐりましたでせう、私は文句なんて考へやしないけれども御書きになるのを机によつて見て居りました
私今日ね、すつかり大しまに定めました。津田先生も大しまの方がいゝつておつしやるんですから、
そして姉がもしゆるさないにしても行かうと定めてしまゐました。
あしたおてんきでしたら森田先生の所へ行かふと存じて居ります。
今日は少しお裁縫をしてまたやすみました。
それからあなたのおせんたく物はね いつでもこの次御出の時ぜひおもち下さいまし、はゝは喜んですると申しました。普通の家庭で着物のせんたく位本当になんともないんですから、それから縫物はそれは下手なんですけど私の暇なかぎり病気でないかぎりお縫ひいたしませう、私はたれでも自分が縫つた着物をきてると思ふと、かすかな誇りをおぼへるのです。
家の人がみんな自分のこしらへた着物を着てゐるのは私のうれしいことの一つです。
あたし、この間岡田さんの自殺のおはなしが本当にうれしくおぼへました。
やつぱり人が自殺のことについてお考へになつてらつしやると、自分の考へてた自殺のことがどんなに心強くなるか解らないんですね、私はまだ弱いからかもしれませんが、
このごろはたゞしまの方にのみ心がひかれて、静かなあこがれの心にやすらかな時を暮つて居ります。
四月二十八日夜
岡田さまへ
素木しづ
封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月三十日午前
岡田さん、今日は御出になるだらうと存じますけれども、もし御出がないとこまりますから、この手紙をかきます。
いま、二日に大しまに立つ事にきめて、御手紙かこふと存じましたところ、今度は母の反対でなんだかくしや/\してます。
私は本当に大島にゆく姉の許しはとても待たれないのだから許しがなくとも行くときめたのです。やつぱり姉の手紙はゆるしません。それで姉のゆるしがなければ母はやらないと申します。兄は、すべてを受け合ふから、私に大島にゆけと申します。私はどんなにしてもゆきたい、ゆきたいと思つたら、ゆかない私の心は暗のやうです。母の前に黙つてねてゐてなにも言はないけれども涙がとめどもなしに流れて仕方がない。私にはいろ/\表面的でない苦しい事がらがある。
いま貴方に御逢ひして、御談しをしたら、私の心はまたなにかに光りを求めて、やすらかにおさまりがつくだらうと思ひますので、私はどんなに、貴方に対して御気の毒だと思つてるんですけど、仕方がないんですから、入らして下さいまし。
封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 五月おついたち、夜
貴方とおはなしをいたしました部屋にそのまゝ床をひいて夜具をかびりましたけれども、私のおちてゆく道はまつ暗な、苦しい眼のふちにぬるい涙のたまる道でした。私は仕方がないのでおき上つて、そのまゝ、貴方を追ひかけるやうに手紙をかきます。
母や妹やは活動にゆきました。私一人一ぜんの御飯がおなかに入らずに、ペンを持つて、書こふとしますけれども。
島にはどんなに行きたいかしれないけれども、あなたが大しまに行くんだと思ふと本当にいやです。
いつもいつも不愉快におひきとめいたしまして、すいません。黙つて御帰りを御見送りするのは――今日、胸がせまりそうになります。
私は反抗がつよいのです。真に人を愛したことも愛されたこともないからだと思ひます。それで自由に人の前に御話しがいつも出来ません。けれどもどうしてだか貴方の前ではどうしてだか自由に御話しが出来るんです。
度々私は貴方に来ていたゞく事が出来て、うれしう御座いました。が私が島に行かなくなれば私は貴方に来ていたゞかねばならないといふ権利がなくなるんですものね、貴方が入らつしやらなかつたならば、私は島に対してどうでもよかつたかもしれない。
島がなかつたら、貴方がいらつしやらないやうな気がしますし、貴方が御出にならなかつたらしまが私になかつたやうな気がします。
島をあきらめたといふことが、私の心を狂はしたやうに、貴方の事が考へられて仕方がありません。岡田さんを私は心の光りのやうに考へて居ることをゆるして下さいますか。
いま私はなにを書いてよいか少しもわかりません私は只、貴方を愛して居ります。
さよなら
岡田様
素木しづ
五月おついたち夜、
卓ちゃんが御話したいと申して
居りました。
封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 五月十一日あさ
きのふの夜があけました。
静かな灰色の空に若葉がゆれて居ります。
よの中になんの変りもなく日は新らしくくられてゆきます。
きのふ貴方は本当に不愉快な御心で御帰りになつたのぢやないかと私は心配でなりません。私の悪い夢から覚め際の不愉快な沈んだ顔をしてゐたのが悪かつたと思ひます。どうぞ御許し下さいませ。
私の心はいま静かになりました。
あなたはをんなの浪のやうにゆれるパッションを恐れてらつしやるんですか、
それで私のおついたちの手紙もその瞬間だけの心だと御思ひになつたのですか、
私はながい事書きたいんですけれども、センチメンタルになるといけないからよしませう。
只、私はあなたを愛してます。前からそして貴方からも愛していたゞきたいと私は思ひ初めたのです。
それが貴方にどれ丈の苦しい重荷をしよはすことになるのだか私は考へませんでしたそしてだん/\強く愛されたいとばかり思ふやうになつたのです。
それ丈のことがきのふ貴方の御話しを承つて居りますと非常に貴方の御心に重荷を負はせたやうに、そして悪いことをしたやうな気になりました。私はやはり一人で生きなけりやならないんだらうか、と思つたら私の心はつめたくなりました。そして淋しさに絶えられない心が 偉くならう、人に負けるもんかといふやうな心になつて生きて行くのです。愛のない生活は偉くならうと思ふしか思ひやうがありませんでした。
けれども人を愛するのは私の自由で苦しくもかなしくもありませんのね。
愛してもら ふと思ふのは私の自由じやないんでした。それは人の自由だからどうにもなりません。人間はたれも完全な人はないだらうと思ひます。御互に弱いところをおぎなつて行こふとするのが愛なんでせうね。
私は貴方の力をばかり私がうばほうとは思ひませんでした。私の力はどんなに少なくとも、やはりあなたの御為めにたつこともあるだらうと考へたのでした。
私の心の動揺は静かに一点に止まつてる時とそれを中心としてぐる/゛\めぐる時です。いま私は一点に止まつて居ります。この手紙を書き終つたら、裁縫をすることも出来るでせう。
今日はおたまさんがおたちなんですね。逢ひたいと思ひますけれども入らして下さらない。
貴方が悲観するといやです。
貴方がしなければ私は心強く世の中に生きてゆけます。
それからまだ死んじやいやです。
あゝどうしてこんなに静かな日なんでせう、わたしはつく/゛\と自分の身が振りかへつて見られます。岡田さんが、長々しい感傷的な手紙を書かないで下さいつておつしやつたので、よほど気をつけて書きましたけれども、どうぞ悪かつた所はおゆるし下さいませ。
サヨナラ
十一日あさ、
岡田さま
静子
みもとへ、
封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 五月十二日あさ
岡田さん、
夕方から雨が降つた今日はそれはいゝ気持、きのうは手紙を書きおはつても少しもいゝ気持になれなかつたの、そして床のなかにもぐり込んで泣いてました。
そして晩にはとても家に居られなくつて雨のなかを俥で森田先生の所へまゐりました。そして面白く九時頃まで話して帰りました、
朝雨がやんでます、今日こそは本当にいゝ気持で御座います。
気分の悪いいゝは気の持ちやう一つなんですね。私だちの心が自由なやうに人の心も自由なんですものね、
なんだか岡田さんにいらない御心配をかけたやうな気がしてすみません。
そう思つたら私は愉快になりました。
本当に元気で私は仕事をいたしませう。もう/\けつして悪い夢などを見ずに岡田さんが御出になつた時に自由に面白く御話しをいたしますわ。
岡田さん だから、なんにも私に御手紙下さらなくてもいゝの、
そして気のむいた時に御遊びに入らして下さいな、もう/\心になんのわだかまりもないのね、岡田さんもそうでせう、
私はすつかり元気になつたんですもの、私は今までのやうに自分でしやうと思ふことを楽しく夢見て、仕事を初めますわ。ね、いらないことをあなたの御耳に入れてすみませんでした。
どうぞすつかり忘れて許して下さいな、それだけれども、まだ死んではいけないの、本当に死んではいけないの、
きのふはなぜお玉さんを御送りしなかつて、
お玉さんとう/\私に知らせずに行つちまつたの、でもいゝわ、
私は一人で楽しいんだから、
これから夏の単衣を縫つたり帯をぬつたり、それからきのふ先生から御借りした帝国文学をよみますの、
岡田さんも御勉強なさるんでせう、
ぢやさよなら、
あの 無理矢理に考へて御手紙なんて書かないで下さいね、またこの次逢へるんですもの、その時すつかり御話しませうや、
岡田様 静子
みもとに、
五月十二日あさ
したゝむ
ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 五月十五日
もう私は岡田さんの前で素なほでなくなつたのでせうか,
御葉書を拝見してからたまらなく淋しいの、きのふおまちいたしました、おかげんが御悪いのでせうか、悪い夢を御らんになって御やすみになれないのはいやね、今日は雨が降つて雨だれの音が淋しいのね、はやく、よくなつて下さいまし、わたしはこの頃また少し悪くなつて、寐てる手がすつかりしびれたりするの、頭がいたくつて、なんだか茫然としてるとぼつと狂ふやふになります、枕元に本をたくさんかさねて、考へてます。
私の病気は本当に知らないうちにだん/\悪くなつてゆくらしい どうぞ御大切にね、
さよなら
絵ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
うし込 しらき(五月二十四日消印)
表面
今日から病人じやないとしつかりして見たのですけれどもだめなの、疲れて疲れて、これからまたしばらくねませう。
あなたの身の上になにかありそうでありそうでなりません。なんにもないやうに――
絵の面
きのふ江口さんといろんな御話しをしました。岡田さんはなにしてらしたんでせう、けふは日曜日なのね 夕方からあなたが来そうな気がしますけれども それはうそなのでせうか
封書
岡田さん
きのふは思がけなく御目にかゝりました。
しばらくあなたの事がわからなかつたのでわたしはいつ死がおそつて来るかわからない不安のある人のやうにして暮して居りました。
けれどもきのふは江口さまから御手紙をいたゞきましてあなたがやつぱり十日頃に大しまに御出になるといふ事がわかりまして安心してましたの、そして先生の所に出かけましたらまた思がけなく御変りのないあなたに御あひして少しおどろきました。
きのふは本当に朝もひるも夕方もかはりのない静かな日でしたわね、庭にときわ木の葉が一枚も散りませんでした あまり静かな日には人間も死なれないやうな気がします 初夏のはな/゛\しい日光がきらびやかに輝く時にときわ木の葉はあはたゞしく落ちますのに。
わたしはどこへも行けないやうな気がいたします
この夏も東京に暮す事なんでせう
ちかいうちにまた病院に行つてみやうと思ひます
けれどもわたしはすつかり元気になつたのでした
御安心下さいませ
わたしはきのふ生田さんを見まして恐ろしくつてなりませんでした。あの人はなぜあんなに心よい言葉で愉快そうな御話しをするのでせうね、あなたもきのふは元気でしたわ、あなたは恙なく生きていらつしやる事が出来るのだと思ひました、
あめがふりますね、
もう暗くなつて紙の上ばかり白く見えます。ペンの字がうすくつてよく見えませんわね、
もう夏です。私はもう病人じやありません。しつかりしました。春日は人の心を病的にするんですね 私のいろ/\悪い幻は去りました。
あなたもけつして死にはいたしません、人はたれでも死にますけれどもあなたは自殺はいたしません
みんなは身体をよくするのです そしてよくしたあとで重い病気になつて死ぬのですね
もう夜になりましたの
電気がつきました
さよなら
をかだ様 しづ
五月卅日よる、
ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 六月八日消印
いつ頃大島の方に御出でせうか。
わたしはまた行くことになりましたのであなたの御出の日を知りとう御座います。医者からも兄からも姉からもずべて承諾を得ました。お金さへ来ればいつでも行かれるのです。十五日頃はどうかと思つてるんですけれども、あなたは御中止にはならないでせうね。
江口さんにもよろしく。あつくなつてこまります。
封書 府下伊豆大嶋本村十八、鈴木よね様方
岡田耕三様
江口渙様。差出人名所名なし。消印六月十五日
今日はいゝ御天気なのです。そして十五日なのです、あなたからの御葉書も朝はやくつきました、けれどもわたしは今日立たれないんです。
風がすこしあるのであきらめて居ります。けれども行く事はたしかなのです。今度は十八日か二十一日にいゝ日を見て行きます。もう二等のある船などをえらんで居りません。
いゝ御日和でよろしう御座いましたね。私は今度従兄か、誰れかと一所になるかもしれないんです。
岡田さんの単衣はすつかり糊がつきました。
一枚でさぞ御不自由でせうね、なるべく早くたつ様にして持つて行きますわ、広くつていゝ御家ですつて、御二人の歓喜にみちたやうな御顔が目に浮びます。わたしの宿と、部屋の事を御願ひいたします。たつ時は電報をきつと打ちます。その他御申越のもの、すべて持参いたしますから、なんでもはやく行きたい。まつてゝ下さいまし、
さよなら
御両人さまへ、 しづ
十五日午後、
素木しづの交友関係へ戻る。