最終更新日 2013.3.15

岡田耕三と素木しづ


林原耕三の「漱石山房の人々」(講談社刊)には、素木しづから林原(当時岡田姓)への書簡が掲載されています。 ここにそれらを掲載します。
ところで、林原は本文中で「素木静子」と書いているが、札幌高等女学校の名簿では「上野山(素木)しづ」となっているので、林原の当て字だろうか。

ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
(大正三年)四月二日夕 牛込南榎町三九 素木しづ
先日は失礼いたしました。さく日の夕方私は修禅寺から帰つてまゐりました。
今朝先生の所へまゐりましたところが英語を今度あなたにおそはつた方がいゝつて申ましたから番地を聞いて来ていまこの葉書を書いたのです。如何で御座いますか、そしてどういふ風に御稽古を致しませうか、いろいろ/\御相談いたしたいと存じますから、明日でも御ひまで御出でしたら一寸家まで御出下さいませんか、御まちして居ります。その時、自画像を御たのみ致します。雨がまた降り出しましたわ、 さよなら

ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 四月六日夕 素木しづ
今度私が突然に一人で八丈島に行かなくつてはならなくなりましたのでいろ/\あちらの様子を承りたいと存じますので一度私の家に御出下さるわけにはゆきませんでせうか、まことにいつも勝手なことばかり申ましてすみませんですけども、どうぞ/\お願いたします。

ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 四月六日夕 素木しづ
一足ちがひで行きちがひになつて、本当に残念で残念でたまりませんでした。わたしは森田先生の所に伺つて、先生の所で貴方への御葉書をかいて、途中出しておたまさんの所へ行つたのです。おたまさんのところでお友だち逢つて、御飯をたべて、家に帰つて来ると、そんなに早く葉書がついたのかしらと驚いちまつたのです。御忙しい所御気の毒で御気の毒で、もうあしたも御出にならないかと心配して居ります。もう出ませんの、いつ入らして下さるかしら、なにしろおまちして居りませう、自分勝手に、なんだか貴方が八丈しまに御出になつたといふ事を伺つて、安心したんです。いづれ御目もじの折に、おわびまで。

ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月七日夜
今朝はまことに失礼いたしました。本当に御出下さつたことを嬉しく存じました。いろ/\御免動なことを御たのみ致しまして、来月に島に行くまで精々養生致しませう、貴方が御帰りになつたあとなんだか非常に興奮してしまつて、すぐ床の中に入つたは入りましたがなんだか解がわからずに夜になりました。もう気分が精々して気持がいゝんです。雨が降つていやになります。さよなら。

封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月九日午後
きのふからずつと床のなかに居ります。御葉書今朝拝見いたしました。いろ/\御世話さまになりまして、御気の毒でなりません。
わたしはだん/\身体がだるくなつて来て、血も一日に一度か二度必ず出ますのでこまります。いまのうち静養してなければ八丈しまにゆけなくなりますので床のなかに居るんですけれども静かにしてればしてゐる程、しみ/゛\と胸のなか痛さや、淋しさが解つて来て、たへられないのです。なんとなく絶望のこゝろが胸一ぱいにおしよせて来るんです。床のなかで貴方の長い/\御手紙をくりかへしくりかへしいたしますが心が空虚になつて只眼が字をたどつてるにすぎなくなるんです。いろんな事書きたいんですけどいま手がくたびれてくたびれて、これだけやうやく書いたのですから、この月[いっ]ぱいは家に安静にしてゐて、来月は一日でも早くしまに行きたいと思ひます。家の人もみんなそうきめました。どうぞ御願いたします。
母からもよろしくと申されました。
さよなら。
岡田さま 素木しづ
なぜ貴方が不意に、私のしまゆきに対していろんな御世話になるやうになるんかと考へました。

ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月十七日午後
毎日/\よい御天気ですね。
私今日病院に行つて書く事を許されました。
貴方はいつ御出になつて下さるんでせう。二三日してから御出になるつて書いてあつたのでそりやおまちしましたわ。反響*御らんになりまして。
さよなら *「反響」は、生田長江らが刊行した文藝雑誌

ハガキ 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月二十一日午後
またあなたが御出の日がまち遠しくなりました。来ていたゞけると思ふと私の心はいけないんです
四月二十一日午後

封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月二十四日
あたし岡田様にはしばらく御手紙を書かないつもりで居りましたけれども、
あの葉書をかいたあと、私は本当に我儘だと思つてしまひました。そして御出になられる時にはいらしやるんだと思つて床のなかに居りました。このごろは熱いので夕方になつてから窓をすつかりあけて、門の上の方の電線の中から星を二つ見て、黙つて居りました。
星が一つは赤く一つは青く見えました。そしていつかねました。翌朝めをさますとちやんと雨戸が立てられてありました。
そのつぎの日も星を見てねました。やはり赤いのと青いのと、その日はむやみに人が表を通るらしいんです。足音がひつきりなしにしました。そして私はだまつて聞いて居りますとみんな片足をひきづるか、また跛者のやうに片方の音がひどく響くんです。私はいつまでも耳をすまして居りましたが皆々そうなんです。
どうしてみんな足が悪いんだらう、随分足の悪い人が居る、と思つてねてしまゐました。
あなたが御出になつて御帰りになつた夜からこの頃は夢ばかり見ます。岡田さんが御帰りになつて一人で床のなかに入りますとひようし木がしました。そのばんはこわい夢を見ました。そして翌朝森田先生に手紙を書きました。
きのふ木曜日(注:漱石山房の面会日)で御出になるかと思つてました。晩に森田先生が入らして嬉しかつたんです。きれいな西洋ばなをいたゞいていま机の前にかざつてあります。反響の小説は人が来たりねむつたりして十九日までかゝずにその日八枚ばかりかいたらいやになつてよしました。で前にかいてある十一枚ばかりのをさし上ました。それはみんな空想で書いたのでした。
先生はよくもないしわるくもないと申されました。
それから歌の原稿をくれつて云はれましたので去年の歌を書きましたらなんだかいやでしたからよして詩にしました。岡田さんが居らしたら岡田さんに見ていたゞいていゝと云つたら先生の所へ上げやうと思ひましたがいらつしやらないのでいま上げやうと思ひます。たれか一人いいとおつしやつて下さると安心して雑誌に出すことが出来るんですから、私の身体はなんでもなくなりました。
きのふ御天気がいゝので床を上げて布団をほしました。私は帯をしめて、ちやんと座つて着物を縫ひました。
そしてばんまで帯をしめて座つてました。
帯をしめると心がしつかり致しますね、
私岡田さんの事をすつかり知つてましたのに、そんなに、御葉書でも無理して下さらなくつてもいゝの、
本当にゆつくり入らつしやれる時に家に入らつしやいな、日曜でしたら、六時頃から夜の方がいゝの、
貴方は本当にどんなに御心配なんだらうと思ひましたわ、けれども岡田さんはそんなに御心配じやないらしいのね、貴方の事を考へたら私なんて一寸もかなしむ必要がないと思ひました。
もうなんにも気にかけない事にしてますの、先生の所に来てから一年になりますわ、
この月一ぱいどこへも出ない事にしてます。
二十九日頃病院にゆきませうと思つてます。
 岡田さん さよなら 素木しづ
岡田耕三様
四月二十四日あさ

封書 本郷区弥生町三番地増田様方 岡田耕三様
牛込南榎町三九 素木しづ 四月二十八日夜
あめがやんでなんだか淋しい風がふきます、
せんじつは御出下さいましてありがとう存じます、お帰りは電車が御座いまして、
きのふ津田先生の所にまゐりまして、一日おもしろい日をすごしました。先生のおかきになつた御手紙があなたの所へまゐりましたでせう、私は文句なんて考へやしないけれども御書きになるのを机によつて見て居りました
私今日ね、すつかり大しまに定めました。津田先生も大しまの方がいゝつておつしやるんですから、
そして姉がもしゆるさないにしても行かうと定めてしまゐました。
あしたおてんきでしたら森田先生の所へ行かふと存じて居ります。
今日は少しお裁縫をしてまたやすみました。
それからあなたのおせんたく物はね いつでもこの次御出の時ぜひおもち下さいまし、はゝは喜んですると申しました。普通の家庭で着物のせんたく位本当になんともないんですから、それから縫物はそれは下手なんですけど私の暇なかぎり病気でないかぎりお縫ひいたしませう、私はたれでも自分が縫つた着物をきてると思ふと、かすかな誇りをおぼへるのです。
家の人がみんな自分のこしらへた着物を着てゐるのは私のうれしいことの一つです。
あたし、この間岡田さんの自殺のおはなしが本当にうれしくおぼへました。
やつぱり人が自殺のことについてお考へになつてらつしやると、自分の考へてた自殺のことがどんなに心強くなるか解らないんですね、私はまだ弱いからかもしれませんが、
このごろはたゞしまの方にのみ心がひかれて、静かなあこがれの心にやすらかな時を暮つて居ります。
 四月二十八日夜
岡田さまへ
 素木しづ


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