関根正二

最終更新日 2008.5.19

しづの夫、上野山の友人の画家(1899-1919)です。彼の日記からは、上野山夫妻との交流の親密さが、とてもよく窺えます。ここでは「関根正二 遺稿・追想」(酒井忠康編 中央公論美術出版)から、抜き出してみます。

大正六(1917)年七月一日
正午上野氏来る。素木しづの夫。遊びに行く。
今日俺の初対面の素木女史は俺の想像と違ふ静かな(親)しみの有る人だ。子供は美しい子だ。
石川まこと氏も居る。上野山牛の絵を描いて居る。あまり感心せず。□□□の人なり。

七月八日
上野山を訪ねる。素木も嬉ぶ。雑話始む。午後、伊東、三ツ間氏来る。夕暮迄芸術上の話する。伊東、三ツ間帰る。
夕食後、俺が漂白(の話を)上野山記す。十時頃疲れたので三人、に子供桜子、一ツのカヤの中に寝る。

七月十六日
九時頃から上野山氏を訪ねんと、清水氏と二人で出掛ける。浜栗を買て行く。上野山、素木の原稿*を持て黒潮へ行く。エビスで有間に逢ひ、素木の家の前へ行くと、素木二階で直覚したので笑ふ。一日上野山、素木と話す。芸術上の話、伊東の悪口。いや実際の所。夜十一時頃帰る。
*「転機」のこと

七月二十三日
絵具が無くなつたので悲感す。
実際俺は悲しい、人の様に働く事が出来な(い)。絵を描いても売る事が出来ない。そして人に貧を云ふ事の出来な(い)性を持つて生れた自分は、ほんとうに悲しい。
母に云て五十銭を貰い、喜んで文房堂へ飛んで行き、三十五銭でシルバホワイトを買ひ求む。十五銭の残金で渋谷の上野山氏を訪ね、愉快に話す。午後七時頃から、素木、上野山自分三人に桜子四人で、日本橋の辻村へ行き、上野山は電話で本郷の雑誌店へ金を取りに行く。素木と俺と桜子三人で二階で待つ。
八時頃上野山帰る、四人で江の巣へ入りビールを飲む。不快なので出る。自由な所のない厭な所だ。京橋迄歩き、素木車に乗り、笹屋へ行き、飲(み)食いす。愉快だつた。
十時頃四人で銀座から、電車で帰る。そうして寝る。白い小さなカヤに四人一緒に。

七月二十四日
朝食前に、三ツ間氏来る。上野山ドイツ語をやる。自分と素木と短歌の話す。
岡田八千代来る。美しい女だ。昼から帰る。絵を描く。(以下、略)

七月二十九日
前を見れども的なし、後を見れども友はなし。物貰いが今俺れの窓前を通る。漂泊者だ。
子供は三人で一人はせおつて居る。衰弱した、顔つきで人の顔を見て居る。
上野山氏をあてに、K子が今日新橋から気車で発つので行く気になる。時間が遅かつたので、上野山の所へ行く、一日遊ぶ。夜、桜子階段から落ちる。皆んな驚く。八時頃三人の友達来る。そこへ中山、丹治二女来る。面白い感(じ)の好い人達だ。丹治様は実際気持ちの好い(人)で俺は心からすいて居る。
二人の女は帰た。上野山と俺れと静さんと三人で話す。俺れ十時半頃家を出て、えびすで電車に乗らうとしたら二人の女が前の氷屋で氷を飲んで居(た)。

八月二日
今日近日に長野へ行くので、暫く上野山に逢いないので逢ひに行く。素木も丈夫で居た。すぐ帰る積りなのに昼飯をくう。シズちやんの顔がいつ来ても懐かしいので俺れは好きだ。夕食にカ□口(レー)を上野山が造る。好子と三人でたべる。
夕から石川まことが来る。落語をニツやる。九月一日に皆んなが来て、何にか面白い会をつくる事にした。十時頃帰る。

長野へ行った為、しばらく上野山夫妻の記述はない。

九月一日
上野山氏を訪ねる、三ツ間氏来て居る、静物を描いてゐる、午后三人で出る。聞けば桜子様がイキリで病院に入つて居ると。俺と上野山病院へ行く。桜子元気になってゐる。俺の顔を見ると泣き出す。六時頃帰る路、すしやですしを買ふ、帰って静さんに俺れと上野山で食ふ。夜になっても電気が光つて居ない。真暗だ。
急に暗の中でいなづまが光る、それは恐ろしい光りだった、それと同時に音がする。上野山は下で用をして居る。静ちやんは泣きながら床に(う)つぶす、俺れは恐ろしさに静ちや(ん)と同じ床に顔を入れる。上野山二階へ上る、三人で今の事件を語す。下の方が安(心)と思て三人下におりる。電気がつかない。実際恐ろしい光りだ。俺は寝る。二階へ上つて上野山、静ちやんを寝かし、俺れをつれにくる。俺二階で寝る。

九月二日
十時頃上野山と二人で帰る。

九月三日
弟武男をつれて、上野山の所へ行く。十二時迄遊ぶ。伊東に逢つて帰る。

九月五日
朝、水天宮なので森下から乗りかへて下渋谷の上野山の所へ行く。色々話しをして夜とまる。

九月八日
上野山行き。上野山のるすに、しず様が上野山の秘密を語す。上野山のシスターは実に下等だと。すぐの弟はせむしで、判屋の小僧で、その弟は三味線や、その妹が田舎出の低能児だと。そして親は六十幾才かで又、新な若い女を妻にもつたとか。実に家庭の(乱)れて居る家だ。
しず様は実際可愛想だ。出来る事なら物質を与(へ)てやりたい。夜、十時頃帰る。帰り伊東を訪ね、とまる。

いつのまにか「しず様」と呼んでいる(^_^;。

九月十四日
上野山の所へ行く積りで、日本橋の辻村へ廻る。そしてメタリツカを貰ひ、素木様に持つて行く。
村尾くる。軽率な奴だ。俺と上野山と病院へ行く。桜子の着物を取りに。
俺れ八時帰る。帰り賂、伊東に逢ぬと、伊東が感情を害すると思つて伊東を訪ねる。村尾氏、口□氏居る。俺れと四人で話す、唱ふ。かなりのさわぎだ。俺れとまる。

十一月十六日
朝から心地の落着かない日だ。昼食やつて上野山の所へ行く。二人で小田原*に行か(う)としてエビス迄で来て金がたりないので築地に描きに行く。一枚描いて二人で銀座のウーロン茶に入り、めしを食ひ不快な思ひをして出る。二人で新橋迄行くと雨が降つて来る。驚いて別(れ)る。
*この時、しづは小田原に転地療養中だった。

翌大正七(1918)年一月二十七日、しづは亡くなった。関根の日記も、この時期からわずかにしか残っておらず、翌々年(1919)に、短い生涯を終えることになる。


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