上野山清貢

最終更新日 2008.5.10

 言うまでも無く、しづの夫である。
 北海道江別に生れる。小学校の代用教員を辞めて上京し、太平洋画会研究所で画家を目指す(1889-1960)。
 出会いから結婚するまでのことは「美しき牢獄」に詳しいが、それ以外にも、「珠」「晩餐」「硝子のかけら」「赤ちやんや」など、子供が出来てからのことが書かれた作品にも、当然登場している。お互い初めての結婚でもあり、若くして亡くなったしづはともかく、長生きした上野山の著作にしづのことが書かれているのではと思い、ようやく手に入れた彼の文集「寫生地」(大正十五年七月 中央美術社刊)をあたってみた。ところが、どこにもしづの名は見当たらない。大正七年一月にしづが亡くなった後、再婚した相手とも大正十五年に別れているが、この再婚相手のことも書かれてはいない。書かれていないから彼女たちのことを想っていなかったとは私には思えない。おそらく彼は、そういった思い出話を書くような性格ではなかったのではないか。彼の書く文章を読むと、そんな風に感じられる。
 より詳しい調査が必要だ。
 下の写真は、しづや赤ちゃん(桜子)と一緒の家族写真です。

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