札幌出身の森田たま(大正・昭和期の随筆家)に関わるエピソード。 以下、略。
彼女は楽譜出版社「森田楽譜」のオーナーで、同社の第1回配本が伊福部作品『ギリヤーク族の古き吟誦歌』だった。森田は刊行の際「われらは伊福部昭を持つ事を誇りとする」と広告文で書く。それほど入れこんでいたのだ。そして1954年、森田がフィンランドを訪れ同国の代表的作曲家ユリエ・キルピネンに伊福部の楽譜をみやげに渡したときの情景が、誠に感動的だ。譜面を受け取り、それに目を通すキルピネンの表情が鋭くなる。彼は、森田に次のようなことを語るのである。──自分は初めて純粋の東洋のオリジナルに出会った、望んでいたものに今こそめぐりあった。──そして彼は、いきなりピアノに向かってその楽譜(伊福部作品)を弾きはじめるのだ。森田は深く胸打たれ、横を向いてそっと涙をぬぐう……。終戦後(1946年)、森林官の職を失った伊福部を、東京音楽学校作曲科講師として迎えるよう校長の小宮豊隆に推薦したのが森田だった。
なんと、森田書店は楽譜の出版社だったのです!このエピソードは、私にとってはじめて聞くものです。彼女の作品を読んで、もっと調べなければいけないと思いました。
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