封書(越知二郎宛)

【表面】松山市北夷子町三六竹の花横丁 越知二郎様
【裏面】岩代須賀川 服部貞子 三月十四日投


御無沙汰しました
心にかけてゐながら夜るひる縫ひものをしてゐたものですから……
毎日よく雨ばかり降つて居ます今日は少し風が出て道がよほど乾きましたが今夜はその風が稍々強くなつてぬかるみのまゝに道が凍みました。
あたゝかになつたとはいひながらまだ梅もさかぬこゝらですから時々雨のあとに雪など誘つてうれしい日和も續きはしません。慥(たし)か十日でしたらうよ大雪が降つて――でも幾分かあたゝかい故か降り/\解けましたがそれでも積つたのは五六寸ありました、降ることは尺位ゐ降つたのでせう。雨降らぬ日はさすがに三月、お針に通つてゐるお師匠の家は人家ばなれたところなので、杉の囲ひの庭越してぐうん/\と風のうなりがきこえます。
お縁側で日向ぼこりしながらおべんとうを喰べた日もありました。
こんな日がつゝけばなんのことはないけれど――高下駄に泥のあがる八幡町通り、例の桶屋にお彼岸花がつるされて春のお彼岸が近づいたのをしらしてゐるけれど今年は例年より寒いやうな氣がします。
新野院長は躰の小さな人でしたね、丁寧だといつて評判はいゝやうでした。なにしろ忙しくつてからだが續かぬといつてやめられたのでしたが松山に開業なすつたんですか。うちの姉が病氣の時はあのお醫者さまに大へんお骨折りを頂きました。
それから今当地に私立醫院を開いてゐる田代といふ人はもと松山病院に居たことがあるのですつてね、この人は得業士です。
大谷忠四郎――私はそんな方存じません先方では知つてゐるかもしれませんが私はさつぱり知りません無論交際もして居りません。
安積中学の人達はよく私のことをしつてゐるさうですよ、仙君とはわれらが君をいふ暗号だなどゝこれも弟と呼んでゐるある中学生からいつてきたことがあります。
秦さんてほんとにやさしいやうな方ですね、今度おついでの節よろしく
風があれて居る。
今し方近年にない大地震が揺つて柱時計は十一時廿分を報したまゝにやんでゐます今朝も可なりの地震がゆつたのにどうしたのでせう。
恰度火燵にうたゝねして居た時で夢うつゝにはつと飛び起きましたそれから目がさめてこの手紙をかきはじめました。
今隣りの時計が一時を打つた。
手がつめたくなつたから――
 乱筆ごめんなさい。
 三月十三日夜 

姉より


 二郎さん まゐる

【注記】本文には以下のような変体仮名が使用されていますが、読みやすさを重視してかなに置き換えてあります。
し(変体仮名 志)、ま(変体仮名 滿)、た(変体仮名 多)、に(変体仮名 爾)、か(変体仮名 可)、け(変体仮名 希)、が(変体仮名 可に濁点)、す(変体仮名 春)、だ(変体仮名 多に濁点)、す(変体仮名 須)

参考 人文学オープンデータ共同利用センター Unicode変体仮名一覧


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