手紙(ハガキ、封書)のリスト


最終更新日:2024年5月6日

資料をご提供くださいました菅野俊之様に厚く御礼申し上げます。
参考文献の編著者の皆さま及び団体様にも厚く御礼申し上げます。


消印日付形態差出地差出人受取人参照
不明
不明絵はがき(テキスト貞子大中小牧[11]
不明はがきと考えられる(テキスト岩代 水野仙子[13]
不明封書と考えられる(テキスト岩代須賀川本町 服部水仙子服部けさと考えられる[14]
不明封書と考えられる(テキスト川浪てい吉屋信子の兄[12]
明治41(1908)年
10月27日封書(テキスト岩代須賀川服部貞越知二郎[1]
明治41(1908)年
10月27日封書(テキスト岩代須賀川服部貞越知二郎[1]
11月6日封書(テキスト岩代須賀川服部貞越知二郎[1]
(11月22日)封書(テキスト岩代須賀川服部貞子越知二郎[2]
(12月19日)封書(テキスト岩代にて服部貞越知二郎[2]
明治42(1909)年
(1月24日)封書(テキスト岩代須賀川服部貞子越知二郎[2]
(2月25日)封書(テキスト岩代須賀川服部貞子越知二郎[2]
3月14日封書(テキスト岩代須賀川服部貞子越知二郎[3]
9月15日絵はがき(テキスト磐城白河貞子田山[4][15][16]
9月19日はがき(テキスト須賀川田山[4]
9月20日はがき(テキスト須賀川田山[4]
9月21日はがき(テキスト須賀川田山[4]
9月22日絵はがき(画像とテキスト岩代須賀川田山[4]
10月2日封書(テキスト東京府下代々木服部貞子越知二郎[3]
明治43(1910)年
2月5日絵はがき(画像とテキスト岩代伊達郡湯野村温泉 泉やふたり田山[4]
5月5日封書(テキスト東京市外代々木服部貞子越知二郎[5]
明治44(1911)年
2月15日封書(テキスト柏木四〇五服部 貞田山花袋[4][16]
(3月30日)封書(画像とテキスト貞子古川法信[7]
8月31日絵はがき(画像とテキスト岩代須賀川田山利佐子[15]
大正2(1913)年
10月6日はがき(テキスト神田駿河台鈴木町一七 大晶館川浪てい田山花袋[4]
大正4(1915)年
11月4日封書(テキスト府下千駄ヶ谷八百四十五川浪てい前田晁[6]
11月21日封書(テキスト府下千駄ヶ谷八四五川浪てい前田晁[6]
大正5(1916)年
(8月2日)封書(テキスト岩代国須賀川 服部方川浪てい前田晁[6]
9月5日絵はがき(テキスト岩代須賀川 服部方てい田山花袋[4]
(9月17日)封書と考えられる(テキスト不明不明不明[10]
10月25日絵はがき(画像とテキスト岩代須賀川町郡立病院一ノ四号川浪てい田山花袋[4]
大正6(1917)年
3月9日はがき(テキスト岩代須賀川町 病院内川浪てい服部けさ[8]
(3月25日)封書(テキスト岩代須賀川町 郡立病院内川浪てい前田晁[6]
(3月27日)封書(テキスト岩代須賀川 郡立病院内川浪てい前田晁[6]
(4月28日)封書と考えられる(テキスト水野仙子前田晁[10]
6月15日封書(テキスト岩代須賀川 服部方川浪てい服部けさ[9]
7月16日はがき(テキスト岩代安積郡高玉温泉 宮戸川うち川浪てい服部けさ[8]
(8月27日)封書(テキスト福島県耶麻郡上戸停車場前 木田氏方川浪てい前田晁[6]
9月6日封書(テキスト福島県耶麻郡上戸停車場前 木田氏方川浪てい田山花袋[4]
不明絵はがき(テキスト岩代須賀川 服部方てい田山花袋[4]
大正7(1918)年
(1月31日)封書(テキスト東京神田駿河台鈴木町 大野館川浪てい服部けさ[8]
(8月5日)封書(テキスト東京府下巣鴨宮下一五八三川浪てい服部けさ[8]
(12月19日)封書(テキスト群馬県草津 聖バルナバ医院川浪てい前田晁[6]

消印日付不明のものについては、カッコ内に文面の日付を記してあります。

参照文献リスト:
[1] 日本近代文学館 第47号 「所蔵資料紹介」昭和54(1979)年1月15日発行
[2] 日本近代文学館資料叢書【第U期】文学者の手紙5「近代の女性文学者たち」 平成19(2007)年9月20日発行
[3] 日本近代文学館 第48号 「所蔵資料紹介」昭和54(1979)年3月20日発行
[4] 田山花袋記念館研究叢書 第四巻「花袋周辺作家の書簡集二」館林市 平成7(1995)年発行
[5] 日本近代文学館 第49号 「所蔵資料紹介」昭和54(1979)年5月25日発行
[6] 東京都近代文学博物館 館報「駒場野」第40号「館蔵資料(書簡)紹介」平成2(1990)年3月発行
[7] 武田房子「『水野仙子集』初刊本と古川法信宛書簡のこと」平成14年度 福島県南高等学校国語教育研究会 研究紀要 平成15(2003)年2月1日発行
[8] 武田房子「水野仙子書簡」駱駝の瘤 通信11 平成28(2016)年3月発行
[9] 武田房子「水野仙子書簡」駱駝の瘤 通信10 平成27(2015)年11月11日発行
[10]「ゆかしきたより」帝国奨学協会 昭和6(1931)年
[11] 大中一郎「水野仙子の絵はがき」高校教育 18巻4号 昭和41(1966)年
[12] 婦人倶樂部 第七巻第十號 附録「明治大正女流名家書簡選集」大正15(1926)年10月1日発行
[13] 「若き人々の書ける多情多恨の手紙」文章世界 第十号 明治40(1907)年
[14] 「学資に添へて都の姉へ」女子文壇 六号 明治40(1907)年
[15] 田山花袋記念文学館収蔵(群馬県館林市)
[16] こおりやま文学の森資料館 特別企画展「ふくしまの女流文学者たち」2015年7月10日発行

[13][14]は、実際のハガキ文・書簡文ではなく創作であると判断されますが、参考までに掲載してあります。


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