封書(川浪ていより前田晁宛書簡)

【封筒表】東京府下目白上り屋敷字狐塚 前田 晁様
【封筒裏】群馬県草津 聖バルナバ医院 川浪 てい


 山里の何を為すなき生活に於ても月日はやはり速うに流れて行きます。
 其後はしばらく御不沙汰致して居りましたがお変りもなくお過しの事とひとりぎめして居ります。
 定めて年末に迫りて何かとこころお忙しき事と存じます。私も尊い月日を犠牲にしてる甲斐あって本病の方は大分よろしく、先達って川浪がとつぜんまゐりました時なども、肥ったのが目に立ったらしい模様でしたし、何よりもあまりからだの事を気にしなくなったゞけいゝのだろうと思って居ります。
 寒さは随分きびしいやうですけれど、それも馴れたのか今では十一月頃よりも却って楽なやうな気がしてゐます、風のある日は雪それ自身が降らなくとも地上も雪を吹きあげまくりたてますので、どんなすき間からでも細かいさらさらしたのが吹き込んで、夜中にどこからともなく寝々(ママ)頭の上につめたいものが落ちかゝる事などがあります。
 寝息は氷って夜着の襟に白い花を咲かせます、水分のものはそれが薬であれ痰であれなんでもこほってしまひます、尤もこの四五日は大分おだやかですがそれでも依然として猫のごはんは凍ってゐます、寒さはどうせはじめから覚悟してゐましたし、また育ったところが北国ですから、此分ならまあ大した事もあるまいと先が見えたやうな気がしてゐます、たゞどうも春がまち遠しくて仕方がありません、春になったらどうこうといふ別にあてどがあるわけでもないけれど、何かしらすべての希望や目的がたゞ春の音づれ(ママ)にあるやうな気ばかりして居ます。
 そろそろクリスマスに近づいたので、教会では活人画のおけいこやら、合唱のおけいこやらに忙しがってゐます、特殊部落の特殊な人達のクリスマスがどんなに賑やかに行はれるかと、私も何だか楽しみなやうな気がしてゐます。
 実際かういふところにゐるといゝ着物をきる折もなければまた何を見るといふ事も出来ないのですから、こゝに一つの社会を為してゐても娯楽の点ではかなり不自由をしてゐるわけです、昔は時々患者達の素人芝居などがあったさうですが、信者達はさういふ事が出来ませんから、まあ年に一度のクリスマスがどんなに楽しみだらうとおもひやられます。
 誰にてもあれたゞ一人の患者からその来歴や、その苦悶や、その心の動きやをきいて、是れを普通健康者の間に話したならば必ず其処に一つの感動を起すにちがひありませんけれど、あまりにそれが多く、否すべての人々がさうであるこゝに於てはそれが当り前なやうな気がする位、普通健康者の状態が遥かに高遠な及びもつかず幸福な尊い生活のやうに眺められます。
 尤も精神生活に於ては必ずしも一歩を健康者にゆづる必要はないのだけれど、彼等が健康者を眺めるその鋭い一べつは、却て私共を伏目にさせて了ふ力を持って居ます、私がこゝで見聞きした事をよく知れば知るほど、とてもかりそめに筆をつけられるものではないという事を感じさせられます、まあ心をひろげてよく見よく聞き、そして考へようと思って居ます。
 暮れの東京は見ないことが今年で三年つゞきます、恐らくこゝには新年がきても戻り、この静かさと心とに変りを生じさせはしないでせう。
 無事に御越年の程を祈り上げます。
 十二月十九日

てい

  前田 晁様
   ひさの様
        まゐる


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