封書(川浪ていより服部けさ宛書簡)

【封筒表】東京神田区和泉町一 三井慈善病院内 服部けさ
【封筒裏】岩代須賀川 服部方 川浪てい


きのふから大分むしあついやうな気がしますね、降れ
ば降るでいやだし、照れば照るで暑い。勿論それに
対して不服をいふ訳ぢゃないけれど。
小包ありがたう存じました。お手紙も拝見しました
とにかくきまってようござんした。実はあまり御返
事がないから、何か思ひ煩ってるのではないかと思っ
て、川浪に折があったらたづねて見てくれなんてい
ってやったところでした。どんな事があっても
いかな希ればならないといふやうになられたのを喜
んで居ります。此前のお手紙では大分思ひ迷って居
られるやうにおもはれたものですから、御返事がない
のをもさうした心境でゞはないかと要らざる心配を
して居たのでした。
草津とはそんなに不便な土地でせうか、私は大分ひらけ
てゐるところのやうに思ってましたが。旅費は自辨で
すか、それだと大分困難でせうね、お手許が。
おせつ姉さんのあの手紙を見ましたが、別になんても仰
言いませんでした。「すっかりクリスチャンだね」といっ
て笑ったまヽ。

若しおひまとそれをするだけの余裕があったら、昔
こっちに持って来ておかれたト●ウだか糸織りだかの
ピカピカするやつを、あの上に何か黒っぽい縞でもおいて
貰ったらどうでせう、裾回しも弱いかはしれないけれ
ど色にでもくヾらしたら、ものになるまいものでもな
いと思はれますが。
併し着物の事なんどはさう心配しなくたっていヽと思
ひます。また其他の事にしたところで、行ってしまって
からでなければ、こちらで想像しての用意はさう大し
て役にも立つまいと思はれます。実際に適当させる
には、すべてあちらにいらしてから必要に応じてなすっ
た方がいヽでせう。それだといって程度問題だけれど。
つまり出来るだけは今のうちにこちらで用意なすっ
た方がいヽのでせうけれど。
性質上私はあなたより割合に平気で人中に出て行
きますが、それだといって恐らくはあなたがごらんに
なるほど、私自身としてはそんなに平気な事では
ないでせう、それ相当の恐怖や不安や心配さをもっ
て向かって行くのですが、必ず相当に道は展けて行
くものです。ある事に着手しようとする者が、着手

せんとしする仕事に対す●て抱く杞憂は自然の情で
すけれど、それは大抵見当違ひな心配をしてゐるも
のです。其仕事の実際の困難は、実際に其事に
着手してからでなければわかりません。ですからたヾ覚
悟をもってむかって行くよりはないのだと思ひます。
あまり取越苦労をなさらずに静かに御用意をなさ
る事をのぞみます。
私も秋には出京しようと思ってゐます。どっと動かれ
ないやうにならない限りは、多分其頃は私も東京
に居りませう。捗々しくはありませんが、病気は決し
て進んでゐません。それに心持ちに於いてもさうは心配を
かくべき状態にあるとは自分で思って居ません。口では
時々愚痴もいひますけれど、心からほんとにさう思って
こぼすのではないのですから。
「一粒のからしだね」に対するお叱りは、一寸意外な気が
しました。第一には、其当時、「これこれの人は
かういふやうな状態にあるのだから、以後さういふ風な事を
気をつけてくれ」と言はれなかったこと、
つまり今まで黙って居られたといふことで、第二には
物事の観方感じ方が大分違ってゐるといふ事にで

した。しかしそれも、第一の事はあなたの性格を思っ
た時に解決し、第二の事は基督信者と未信者の頭
といふ事で最も造作なく解決します。
併しそれを重大に考へると、第一の事は、今までそれを
黙してゐたこと、つまりあの当時に於て軽々しく言って
のけられなかった程其事が重大であるといふ事を意
味して来、従って第二の事については、私は私
としての自分の考へを披瀝しなければならなくなっ
て来ます。それは私が、「自分が大したことではない
と思ってした事でも、それが他人を傷けた時にはその
行為は罪である」といふことを否定するからではあり
ません。私もそれはわるいことだと思ふ。其人は当然謝さ
なければならないでせう。
若しも……ではない実際に於て、あの事が三上さんの
心を傷けたとすれば、私はほんとにそれをすまなく思ひ
ます。初めて今其事を知っておわびしたく思ひます。
たヾ、私には、あの事が三上さんの心もしくは感情を傷
けたといふならば、肯けもしますし、さう大して意外だ
とも思ひません。それはあなたが無意識に思ひられ
た文字であるかはしりませんが、(恐らくは併しさうでは

ないでせう)あの霊といふ言葉が私には意外なので
す。霊を傷け、もしくはけがすといふことは容易なことで
はありません。若し果して私があの一事によって三上さんの
霊を傷けたといふならば、私にはその意味がよく了解
出来ないのです。それは霊といふ言葉について、あなた
と私の解釈が違ふかもしれないし、また創作、及び恋
愛といふものヽ解釈がお互に違ふからに相違ありません。
実が直ぐに御返事しようと思ったのですが、前にいっ
たやうに考へるのは私が間違ってるのではないか
と思って、其夜はそのまヽやすみました。其翌日に
なってもあっぱりどうもさうとしか考へられないものです
から、いろいろと自分の考へをのべる積りでしたが、そ
れにしては一時間や二時間では書き切れないし、書か
う/\と思ってることに、その思ひばかりで疲れてし
まったのでした。今日はたヾ簡単に書いておかうと
思ってることに、ついこんなに言ひ出してしまいまし
たが、その考へを書き通せば長くなりますから、やめ
る事にします。
お互いに意見の違ふのは即ち基督教に対する解
釈のちがひで、とにかく私は私として思ってゐる神

について語ってみたいやうな気もしますが、併しいつま
でもまた此心境にゐるものとは思ってゐませんし、従っ
て我が考へに絶対の自信をもってゐるのではありま
せんから、今度は何もいはぬ事にして、あの事は私の
問題として保留し、自然に教へられるのを待たうと思
ひます。
私の言ひたいと思った要は、私のあの作にこしらっ
た恋愛は、決して何物をも汚し、価値を低めては
ゐないといふ事をいひたかったのです(それは作と
しての問題ではありません。あの作に出て来る傳導
師の人格を より自然に、より温かな心をもった
人とはしてゐても、決して其傳導師としての価値及び
尊厳を傷けては居ないといふ事です)
たヾ実際になかった事をあったやうに書かれた、その
事がいとはしく思はれたといふならばわかります。
そこにも、小説は決して人の傳記ではないといふや
うな事が起って来ますが、併しそれは些細な事です。
やめる/\といひながらやっぱり書いてゐますね、いっ
そなまなかいひ出したことを抹殺したいやうな気も
しますが、書いたものは書いたものとしておきませう。

くれ/\もあなた始めあの人を苦しめ悩ませたこと
をおわび申し上げます。さうして猶深くさうしたこ
とに就いて神の教へ給ふのを待ちます

私は神を信じない者ではありません。けれども私は
野にゐます。宮に入って勤めをしようとは思ひません。
田をたがやしながら祈る祈りでもいヽ筈だと思って
居ます。将来にはどういふ心持ちになってゆくかは今
のわたしにはわからない。
なんだかいろ/\な点に於て不本意な手紙です
けれど、もうなんでもいヽとして切り上げたくなって
来ましたからそれで筆をおきます。
大分むし/\として来ました。雨がふるのでせう。
 六月十五日

てい

  けさ様

【注】判読出来ない文字は●で示されています。


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