とつぜん手紙など差上げ失禮には候へども何卒お許し被下度候。お妹樣信子さんとのお近づきにより、何かとお氣象のもようなど承り、未だお目にはかゝり申さず候へども、此方にては勝手ながら一人の知己の如き感じ致し居り候。先日久々にて信子さんお見えに相成り、其節はお國許よりのお土産として結構なもの戴き、皆さまのお心盡しに却て痛み入り候。其折のお話にて、信子樣文學の道に入られ候を御兩親樣にはお好みあらせられず、併し乍ら其熱心に許されてともかくいづれの學校へか入學致すべきようお申越し遊ばされ候よし承り候。いづこに我子の行末を氣づかはぬ親心の候べき。並々ならぬ、御心配の事と、近き昔の吾が身をふりかへりみて、御無理ならぬことゝお察し申され候。私とても其事にて随分母を泣かせ候身にし候へば。
併しお兄樣には文學なるものをさほど卑しきものにはお考へなさるまじと信じ居り候。のみならず其方面に進まるゝ信子さんにとつての第一の味方であり、楯でもあることを信じて心強く存じ居候。たゞ信子さんが女なるが故に、ならう事なら世の常の娘の踏む道を踏ませたく思召されて、幾らか躊躇なされ居る事と存ぜられ候。私とても決して決して好きこのんで苦しき戰ひの巷に信子さんを引いだしたくは御座なく候へ共、又信子さんにしても、出來うべくば當り前の娘となり度思召さ 候はんも、如何にせん定められたる天性の下には反抗しがたく、そは却て不自然でもあれば從つて又當人の身にとつて不利益のことゝ存ぜられ候。悲しい哉人には人の運命の先を透視することを得ず、如何なる道にやがて外れ給はんも計り知れず候へ共、生命のあるところに體を添はすことを得候へば、自然の導きにて(惡傾向でない限りは)順當なる道を得申すべくと信じ居り候。今のうちに信子さんを無理無理なれども親御樣の意に從はせ候は或はかなり容易き事に候はんも、果してそれが信子さんにとつて最善最良なる幸福の道なるか否かは全く疑問に御座候。尤も文學に單なる憧れをもつて、只ふはふはと親の意に背く底の人と信子さんを見候へば、多少の責任を意とせずしてかゝる差出口を聞き申すまじく、たゞ之によつてのみ自己の磨かるゝを知り、生甲斐を感じつゝある者より其の縋るものを奪ふは、全く命の綱を奪ふにも等しきことゝ存ぜられ候。
今更事新らしくかゝる事を述べ申さず候とも、お兄上樣には既に既に御承知の事にて笑止の至りには候はんも、何とかして信子さんの惱める心をお救ひ申したく、くだくだしく申のべ候なれば、何卒お氣にはかけ下さるまじく候。
兎も角磨かれぬ石には候とも、信子さんにはあるよき素質の隱されるを感じ居り候。もとより私の文壇的地位は低く、低くといふよりも寧ろ影もなき位には候へ共、今の文壇に快しとせぬ一群の者と共に小さき力をもつて信子さんの或るものを衛りたく存じ居り候。いづれにしろ信子さんの努力と傾向に依るは勿論に候へ共、ともかく今私どもの心に觸れ候ものをお持ちの信子さんに對しては、觸るゝものゝあるうちだけなりとも共に磨きたく存じ居る次第に御座候。『文學では飯が喰へぬ』といふ事は全く今のところ事實には候へども、其代りには絶えず心の糧をもつて養うはれ居り候。併しながらかゝる事は親御樣達のお目には全く夢のやうな囈語と響き申すべく、生活のしろのために女教員の資格を取るといふ方針は、一應結構な事に存ぜられ候。併し如何にしても信子さんの生きたる魂を、ミイラの如き女教師の姿に宿らするは可哀いさうに候。かくて何の利益の候べき。たゞ米と菜との代を、規則的に得る事が出來るだけに候。かくては姿に於ては一日一日と女性の輝きを失ひ、又心に於ては形式と冷たさの作用を起すだけに候。
決して文學の道にたづさはり候とて一生獨身で終らねばならぬものに候はず、其うちには必ず相當の良縁もあるものと信じ居り候。願はくは處女の姿と心を今暫く自然のまゝにお伸ばし下され度、できうるだけお兄樣のお手許にて目に見えぬ學問、遊んでゐる勉強をおさせ下され度願はしく存じ候。榮耀榮華さへ心にのぞまねば、いざといふ場合の參り候とも、喰べる事にことかく事は決してなきものと信じ居り候。つき當ればまた道は横にもひらけ居るものに御座候へば。
まことにくだくだしく申述べ候も、要は文學の道に踏み入るを信子さんにお許し下されたき事と、其爲めには今度の入學問題は、不利益であるとも利益にてはあるまじと申す事と、(もとより物質的の利益不利益は云々いたさず)止むを得ず手離さねばならぬ時機の至るまでお兄樣の手許にお慈み下されたき事を願ふにて候。語學だけは何なると一つ習得さるゝはまことに結構と存じ是非おすゝめ申したく候。
前後整はぬふしぶしのみにて、さぞ読みにくゝいらせられ候はんも、足らぬ頭故とお判じ読み被下度、失禮のかどかども候はゞ之またお容赦下され度候。餘り長くなり候故之れにて失禮いたすべく候。かしこ。
三月九日夜
川 浪 て い
【注記】吉屋信子には4人の兄があり、この手紙のあて名がいずれか不明です。大正4年から母と共に同居することになる3番目の兄忠明かも知れませんが、確定はできません。
参考サイト:文筆活動に生きた女性たち
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