封書(川浪ていより前田晁宛書簡)

【封筒表】東京市芝区葺手町十八 前田 晁様 御許
【封筒裏】岩代国須賀川 服部方 川浪 てい


 かへりましてからもう三週間を過ぎました。それがうそでないのがをかしいやうな不思議なやうな気がします。私はまだそれらを昨日のやうに思ってゐるものですから……
 今度の辞職に就きましては一方ならぬお骨折に預りいつもながら御厚情のほど感謝いたして居ります。今日川浪から手紙でございまして委細を承知致し、思ひがけなき思ひと共に社に対して御気の毒のやうな気が致しました。
 勿論お骨折によることゝはいひながら、そして決して努力を惜んだわけではないが余りにお役にたゝないでしまったと思ふものですから。
 就きましては社長若しくは石黒さんに対してなんとか御挨拶をした方が宜しいでせうか?御教示を仰ぎたく存じます。石黒さんのお名前はたしか景文と仰言るのだと覚えて居りましたが例のうかつや(「うかつ」に傍点)ですからはっきりいたしません。之また御をしへ下さいませ。
 新聞のもようでは大分暴れたやうでございますね。こちらは毎日毎日降りこめてゐたばかりいくらかあらし気味ではありましたが大きな風は出ないですみました。
 其後私のかげんは別によくもわるくもないやうな状態に居りましたが、併しこれは或は私の感じだけで実際はいくらかづゝ快くなってゐるのかも知れません。何しろ第二の病気に吃驚させられてからは其恐怖が尾をひいていて困ります。腎臓炎の方は殆どいゝ位なのです。あのお写し下すった写真などよりは、今はずっとやせて居ります。時によると随分悲観して居ります。尤もそれはたいてい雨が降る日とか曇った日とか、つまりお天気かげんによるやうですが。
 何しろ早く腎臓炎の方を卒業していろんなものを喰べたいと思ひます。肺炎の方は割合に楽観して居りますが、どうも長い間の服薬のせいかお腹のぐあひがわるいのに閉口して居ります。ものを頂くと苦しいものだからつい控へ目にし痩せればやせたで腎臓の方には喜びながら、これは栄養が不足でやせたのではないかなどゝ気にします。全く病人の神経といふものは始末にをへません。これを解脱する事につとめては居りますが。
 疲れましたから奥さまには別に認めず、此手紙をやはりさゝげる事に致します。失礼ごめん下さい。
 御家内皆様の御健康を祈ります。
 皆様も御身お大切に遊ばして下さるやう。
 八月二日

  川浪 てい

  前田 晁様
   ひさの様


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