墓をつくる

川浪磐根(道三)「山さんご」長谷川書房 昭和29(1954)年11月發行

東京に三十餘年くるしみて妻は死なせつわれもふけにけり

新青葉墓地の眞晝を掘りあげし骨壺の水かたむけ流す

澄みに澄む骨壺の水ながれては地《つち》に沁むるに傾けつくす

悲しみて納め置きける妻が骨天つ光にはばかりて見ぬ

骨壺の水をたのみて飲む人のをりをりにしてありとや石工

おのれらの納まりぬべき唐櫃《からうど》とこごみて窖《あな》をのぞきゐる妻

石工らの働くそばを離れ來て思ひは遠し身は疲れたり

墓原の空の白きに透き入りて槻の高枝のゆらぎもやまず


雑司ヶ谷霊園にある川浪家之墓の墓石は昭和十四(1939)年五月に建立されました。
これらの歌は仙子の遺骨埋葬時に詠まれたのか、あるいは仙子の死から20年後の墓石建立時に詠まれだものだろうか、と考えてみましたが、二首目に骨壺を掘りあげたとあるので、やはり後者なのでしょう。6首目の妻は後妻でしょうか。

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