新青葉墓地の眞晝を掘りあげし骨壺の水かたむけ流す
澄みに澄む骨壺の水ながれては地《つち》に沁むるに傾けつくす
悲しみて納め置きける妻が骨天つ光にはばかりて見ぬ
骨壺の水をたのみて飲む人のをりをりにしてありとや石工
おのれらの納まりぬべき唐櫃《からうど》とこごみて窖《あな》をのぞきゐる妻
石工らの働くそばを離れ來て思ひは遠し身は疲れたり
墓原の空の白きに透き入りて槻の高枝のゆらぎもやまず
雑司ヶ谷霊園にある川浪家之墓の墓石は昭和十四(1939)年五月に建立されました。
これらの歌は仙子の遺骨埋葬時に詠まれたのか、あるいは仙子の死から20年後の墓石建立時に詠まれだものだろうか、と考えてみましたが、二首目に骨壺を掘りあげたとあるので、やはり後者なのでしょう。6首目の妻は後妻でしょうか。