水野 仙子年譜

参考文献
1. 叢書「青踏」の女たち 第10巻「水野仙子集」
不二出版 1986年4月25日 復刻版第一刷発行
に収録されている川浪道三氏作成の水野仙子年譜
2. 武田房子「水野仙子 理知の母親なる私の心」
ドメス出帆 平成7(1995)年10月15日発行
3. 巖谷大四「物語女流文壇史」(上)
中央公論社 昭和52(1977)年5月30日発行


明治二十一年(1888)十二月三日、福島県岩瀬郡須賀川町の商家に服部直太郎の三女として生まれる。
本名服部貞子(テイ)。兄は歌人服部躬治(もとはる)。
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明治二十八(1895)年四月、須賀川尋常小學校に入学
明治三十二(1899)年四月、須賀川尋常小學校を卒業して高等小學校に入学
明治三十六(1903)年三月、高等小學校を卒業して裁縫専修学校に入学。
明治三十七(1904)年三月、須賀川裁縫専修学校卒業。
明治四十二(1909)年四月、上京して田山花袋の家に身を寄せる。
十一月、代々木初台六〇七に家を借り、岡田美知代とその赤ん坊と一緒に暮らす。
明治四十三(1910)年岡田美知代が代々木初台の家から出て、山田邦子が同居する。
十月、代々木初台の家から出て、兄躬治や田山花袋の家に身を寄せる。
明治四十四(1911)年四月、与謝野寛夫妻の世話で日本書翰學會*1に就職し、雜誌「筆の香」を編集する。下谷区西町に下宿する。
八月、職を辞して帰郷。
九月、上京して川浪道三(夕水)と結婚(日比谷大神宮)。下澁谷に住む。
青踏社に加ったのもこの頃。
十二月、父死去。
明治四十五年・大正元(1912)年四月、代々木山谷に引越す。母死去。
十一月、夫の結核療養のため、鎌倉に移る。
大正二(1913)年二月、夫と共に帰京。代々木に住む。「中央文學」の編集に携わる。
大正四(1915)年九月、前田晁に招かれて讀賣新聞社婦人部記者となり「身上相談欄」を担当する。
大正五(1916)年三月、肋膜炎を患う。四月、駿河台杏雲堂病院に入院。六月、退院。
七月、郷里須賀川の長姉セツの許で病気療養。
肋膜炎再発。更に腎臓炎、腹膜炎等を併発し九月、同地郡立病院に入院。
大正六(1917)年四月、退院。七月、福島県安積郡高玉温泉に転地。
八月、更に同県耶麻郡上戸(猪苗代湖畔)に移る。
十月、帰京。上大崎に住む。
大正七(1918)年一月、再び病床に就く。
五月、巣鴨に移る。
九月、上州草津で聖バルナバ病院に勤める次姉ケサの許で療養。
大正八(1919)年五月、脳膜炎を併発。
同月三十一日午後四時三十分、死去。享年三十歳。
六月二日、火葬に付され、翌日遺骨は東京に運ばれる。
同月五日、雑司ヶ谷墓地(1-15-14側4番)に埋葬される。

*1 川辺豊氏のウェブサイト(2022年1月29日 書肆「広文館」(一))から。


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