水野 仙子のお墓参り

1998年10月15日 小林記


 八千代台から和光へ通勤の途中、池袋の雑司が谷霊園にある水野仙子のお墓にお参りして来た。
 大型の台風10号が沖縄に近づいているせいか多少風は強いものの、雲間から青空が見える良い天気だった。
 池袋地下道の売店でストロボ付きの使い捨てカメラを購入。池袋駅から雑司が谷霊園までは徒歩で10分程か。途中、なつかしい都電荒川線の線路を越えてすぐである。この霊園や近くの鬼子母神(ススキで作ったみみずくで有名)には何回か来た事があるので、迷わずにすんなりと到着した。

 あらかじめ、お墓のある場所(番号)は調べてあったが、とりあえず確認のためお墓に直行する。
 「1-15-14」と口の中でつぶやきながら探すと、ほどなく発見。お花もなにも供えられていないので、寂しい。

 天気が悪くなったら困るので、とりあえず何枚か写真をとる。
 それから霊園内にある花屋さんでお榊を買ってきて(1000円)、水で墓石を洗ったりしてからきちんとお参りをした後、もう一度写真撮影。
 墓石正面は、「川浪家之墓」と彫られていて、向かって右面に
川浪てい 大正八年五月三十一日没
享年三十二歳
とある。
 さらに裏面には、
昭和十四年五月 川浪道三建之
と彫られている。

 それ以外に墓碑銘のようなものは無い。
 昭和十四年建之ということは、仙子が葬られた時に墓石はなかったのだろうか。また道三・てい(仙子)夫妻に子供はなかったが、道三は再婚しても子供ができなかったのだろうか。後妻の消息はどうなっているのだろう。
 自分とは縁も所縁もない川浪家のお墓を詣でて、いろいろ考えてしまう。

 そのあと、ついでと言っては失礼だが、村山槐多の墓もこの霊園にあるので詣でる(1-20-6)。こちらは村山家之墓の手前に、上部に「槐多墓」と彫られた大きな丸みを帯びた石があった。こちらも写真に収める。

 帰途、見かけた古本屋に入り「赤門教授らくがき帖」(鱒書房)と「立原道造詩集」(角川文庫)を購入する。


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