わが肌の心地せぬ朝人並みに
笑顏つくるも悲しきならはし。
又春が巡つて來た。貧しく病める身にも絶えて忘るゝ事なく幾度か訪れる春が。けれども、
わが春は枕にはべる葡萄酒の
興奮剤のなつかしき色。
それは健康の血の色をなせどもわが身うちに強き生を芽ぐむには力足らず。さはれ世は春なれば、
乾きたる唇を味よき水藥にうるほして
飽かず小鳥に聞き入りしかな。
〇
赤い四角い剥げた塗膳に、
夕べの御飯が運ばれた。
いきのたつ味噌汁に、
ころ/\とお膳をころげ廻る生玉子。
それから色のよいお香のもの。
「神樣この御飯を有難うございます。」
熱のない夕べは、
ほんにものゝ味がする。
舌苔とやらいふもの、
この夕べは取れたさうな、
乳房の哺みごゝちのやうな御飯の一口。
ほんに久しぶりで味がする。
「神樣この御飯を有難うございます。」
ねえあなた、
下宿の御飯もさぞ冷たかろと、
朝夕に思へど、
てもまあ、
一杯の味噌汁と、
四切れのおかうこと、
若しくは一切れの鹽鮭に舌鼓を打たれる食慾はなんと幸ひでしよ。
「神樣この御飯を有難うございます。」
〇
愚かしき事を言ひ、愚かなるものを發表する事を躊ふな。そも亦「彼」の意志なればなり。
三年前、殊によつたら死ぬのかも知れないと思つた時、私は其自分の死に就いてどんなに無駄な心遣ひをした事だつたらう!それはどんなに真劒なものであつたとしても、私の魂はやつぱり空想の日和見をしてゐたのだつた。
私は言つた。
「私が死んでも、あとで書いたものを集めるやうな事はしないで下さいね。それよりもありつたけのものをみんな殘らず焼いてしまつて下さい。私はあんなものを殘して死んで行くのが耻しい!」
けれども困つた事には、たとひ原稿や手許にある書籍やは焼き捨てる事が出來ても、或は八百屋や乾物屋の袋に、又は焼芋の包み紙などになつて、思はぬ人の目に觸れなければならない古雜誌の活字はどうしようもなかつた。それが私をひどく殘念がらせた。私は自分が何かしら書いた事のある人として、、一寸の間でも思ひ出されるのが厭だつたばかりでなく、その遺稿のはしくれが、假令《たとひ》無心にでも人目に觸れるのが厭だつた。私は泡の消えるが如く完全に消えて行きたいと思つた。これまで書いたやうなものを殘して行くのは如何にも耻しい限りであると思ひ續けた。
けれども自然は、實際は、そんな空想の冗漫には毛筋ほどの寄り道もしないで、さつさと進んで行つた。三年經つても私は死なず快くならずに猶生き續けてゐる。けれども私は、その荒涼たつ「彼」の無關心の跡から、一つの大きな隕石を拾ひ取つた。それは「肯定」と呼ばれるところの名を持つてゐる。
私は段々自分の運命に對してさう註文をつけなくなつた。又さう虚勢も張らなくなつた。死に對する考へも幾變遷の後、段々手垢が取れてすつきりして來て、來るならばそれは何時でも來てもいゝやうな氣がするやうになつた。死に對して無暗に巖肅ぶつてゐるうちは、それはまだ死を拒んでゐるのである事が漸くわかつて來た。それは拒んで恐れて、その威巖の影に慄へてゐるのである。けれども其威巖は、人間の生の要求が作り出した、消ゆれば跡方もない幻影に過ぎないのだ。
私は自分をも死と共に否定しようとしてゐたのだつた。しかもそれは、飽く迄も生き續けようとする熾んな意氣からでもなく、又内端な氣の弱い内省から來たものでもなかつた。それは實に、自分をそれだけのものと思はれたくない傲りから、自分の期待してゐた未來が竟《つひ》に開けないものならば、いつそ其過去も現在も完全に抹殺して了はうと願つた事なのであつた。それは自分をあるがより以上に思はうとした事であつた。とはいへ、私は決して自分の未來にかける希み、又は自信を嗤つたり蔑むだりするやうな事はしまい。それ所か、假令瞬間の未來にでも私は私の希望と期待とを私自身の上にかけて行く事を心掛けよう。たゞ潔く私は其未來と共に不滿足な現在の自分をも、厭はしい過去の自分をも、大きく自分の心に肯き入れたいと思ふ。
私の死期は、如何に骨を折つても今の私に知られる限りではないものを、さうして又私は竟に偉大なる哲學者ならず、賢き小説家ならず、美しき詩人ならず、たゞ一人の眞なるものゝ美を慕ふ女に過ぎないものを、賢き、愚かしき、新しき舊きなどの言葉に何で耳を傾ける必要があらう。私が私の心に於て如何に値打ちの低いものであらうとも、そして如何に其心から愚かな言葉が迸《ほとばし》り出ようともその愚の眞實に於て自信のある事ならば、私は憚らずに唇を開かう。さうして死に關しては、その死を送るものゝ自由に委せて、殘されたる私の生を一歩/\と大膽に歩いて行かう!
愚かしきことを言ひ、其愚かしさを發表する事を躊ふな。そも亦「彼」の意志なればなり。
〇
「じつと堪《こら》えて、じつと堪えて、さう、さう」
と私の心は私に言ふ。
其癖自分でも目にいつぱいの涙を溜めてさ、
恰もいぢらしい我が子の姿を見るやうに。
不遇とは何もの、
それは儘にならぬこと!
ではいつまゝになるの?」
と私は私の心に言ふ。
ひもじさに澁面作りながら、
泣顏かくす千松ではないけれど
私の心は答る言葉を知らない。
ほんに氣の毒な!
けれども私の私が氣の毒だといふのは、
母子の忍耐を褒める溜息ではない。
理智の母親なる私の心に從はされて、
頑是なければ何を待つのかも知らずに、
澁面作りながらお手々を膝について待つてゐる私が氣の毒でいぢらしい!
〇
來い/\と呼べば、首をかしげて鈴を振りながら驅け寄る小猫、ほんにお前の丸々と肥つた事、毎日/\喰べて寢て、そして水の流を見て暮す。私と同じい身でありながら、お前は無心でそして元氣だ。あの水の流れがお前のまゝにならぬとて、悲しまぬがよい。いやお前は決して悲しみはしない、悲しまないで毎日/\どうにかならないものかと、首をかしげて眺めてゐる。
山の切崩しの土は柔かであつた。そして春の心に照る日は、藪かげに消え殘つた雪を露と誘つて、萌えがての草の間に浸入り、浸み隰[#「こざとへん」でなく「さんずい」]つた土は崖の鼻の草の根にその雫を送つて、靜かに、した/\と日を夜を滴[*したた]つてゐる。絶えざる其雫の努力は、柔かな斜面の土にその細くなだらかな道を開き、うね/\と曲りくねつて、其處にも此處にも血脈のやうな流れの跡をつけてゐる。その流れは途中で粘土らしい白い土を溶くために、鈍くのろい歩みになつて、しかも力強く、時には小さい石塊などをころころ轉ばせる。小猫は誰も對手[*あいて]になつてやるものがなくなると、いつもまだ崖下の雪に半ば埋れてゐる廃れた犬小屋の屋根に乗つて、さも感心したやうに其流れの運動を眺めるのである。そして時々其興味に堪へられなくなつたやうに丸い小さな白い手をのばして、その流れを止めようとしては、思ひ掛けぬ氣持ちわるさに驚いて、ぷる/\と鈴を鳴らしては手を振るふ。けれども亦暫くすると、我にもない力に押されて別の片手が出る――毎日/\幾度かそれを繰返すのだけれど、いつかは我意に滿ちて遊びとそれがなるかのやうに、小猫は飽かず流れに向つて首をかゝげてゐる――あゝ忘却、それは何とよいことであらう!諦めるといふ寂しい冷たい事をせずに、いつも變らぬ同じものに對しながら、新たなる希望と興味とを、それはかの小猫に與へてゐるのだ。
小猫よ、お前の小さな欠伸《あくび》は私を故もなく寂しませる。さらば又水の流れを見ておいで、そして今日も亦お前の思ふやうにそれがならなかつたなら、又その希望《のぞみ》を明日にかけて急いで私の枕邊に歸つて來い。私は午後の牛乳の一口をお前の爲にとコツプの底に殘して置かう。
〇
いつの頃からか私は、夜の眠りに就く前に「地の病み惱める人々」の上に一夜の安らかな眠りを祈るならはしを得た。それは私の同情の押賣りでは決してない。私は私自身を其中の一人として偏《ひと》へにそれを希ふのである。けれどもそれは、他の病人達と区別されて一人特別であらうとは、決して思はない。私の爲には、更に誰か祈つてくれる人が、少くも一人は必ずある事と思つて、心安くその祈りに私の身と心とをお委せする。そして私は、私自身のために二重に神樣を煩はす事をしないで、その私自身の爲に祈らうとする熱意を「地の病み惱める人々」の上の祈りに傾けようと思ふ。
あゝ眞珠の如く尊い「病める者達の一夜の安眠」よ!