お貞さんの集の前に


 お貞さんが始めて私の家に來た時のことを考へると、遠い、遠い昔のやうな氣がする。夢の中のシインか何ぞのやうな氣がする。田舎から出たばかりの[*原文では「ばのかり」]娘、そのしめてゐたメリンスの帶の赤いのが、今でもはつきりと私の眼の前にある。その時、お貞さんは二十二であつた。そしてその時、既に『徒勞』だの、『暗い家』だのの作があつたのであつた。この集に載せてある『四十餘日』が、私の家に來てから一月も經たない中に出來たのを見ても、いかにすぐれた才と質とを持つてゐるかがわかる。お貞さんの話では、何でも、その性質は、父親の方から受けてゐるらしいといふことであつた。お貞さんのおとつさんは、面白い人で、田舎人らしい、また、田舎の商人らしい氣分と性質とを持つてゐた人らしかつた。一體、お貞さんの生れた須賀川といふところは、昔からあたりにきこえた商人町で、郡山や、白河や、二本松に比べて、何方かと言へば、士魂商才のその商才に屬する氣分の漲《みなぎ》つた町であつた。從つて、お貞さんには、士族の娘といふところはなかつた。何うしても堅い田舎の商家の娘であつた。それに、何處をさがしても浮華なところ、輕薄なところがなかつた。全身すべて是れ誠といふ[*原文には「い」が抜けている]やうな人であつた。從って、どんなことでも信頼してまかせることの出來る人だつた。つまり質としては、弱い方ではなく強い方だつたといふことが出來る。しかし聡明なお貞さんに取つても、空想の境から現實の境に入つて行くについては、かなりにいろいろなものが、その心を攪《みだ》したらしかつた。私の家にゐたのは、ほんのわづかで、その後のことは、私は詳しく知らないけれども、自己の問題については、かなりに深く苦しんだらしい。一時はその現實の悶えのために、その持つた藝術の鏡もすつかり曇らされて了つたやうなこともあつたらしかつた。しかし、その聡明と忍耐と誠實とは、次第にその心の煩悶を征服して、再びその純一な藝術の途に上ることが出來た時、その時不幸にもお貞さんは不治の病に冒[#目でなく月]されて了つたのである。惜しんでも惜しんでも足りないやうな氣がせずには居られない。しかし、その後半生に於て、その持つた自己をやや完全に近い程度に於いて、その書いたものの上にあらはしてゐるのは、私に取つてせめてもの慰藉であらねばならぬ。何故ならば、その尖つた~經、新しい情緒、いかにも女らしく張詰めた心の線、さうしたものは、私の家にゐた頃のお貞さんには、まだ十分に開けて來てゐなかつたものであるからである。それにしても、今でも眼に見えるやうな氣がする。お貞さんが、默つて、坐つて、さながら不可解の人生のすがたに、見入つてゐるやうな姿が。また質素な、誠實な顏をして、じつと人生を見てゐる姿が。

 大正九年五月

田山 花袋


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