轉機

素木しづ



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【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注
(例)[#1行あき]

/\:踊り字
(例)とぼ/\と

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 ある夏の日の晴れ渡つた暑い白晝に、四五人の若い男が遇然一ッ家に落ち合つて、旅の話をしてゐた。彼等はいづれも旅といふものに對する憧憬と追憶との爲めに、各自心のなかに思ふことが多いやうに、瞳を輝かして斷片的な物語りをかはしてゐた。其時一人の男が次のやうなながい物語をした。  彼は、そのなかで一番豐かな風貌をそなへてゐた。そして如何にも健康さうな淺黒い顏の色に、高い肉附のいゝ大きな鼻と、柔和な瞳、濃いおだやかな眉毛、子供のやうな口元を持つた、まだ若い人好きのいゝ男であつた。彼は身丈が五尺八寸五分もあるといふ大きな男で、如何にも少年の日の驚異な、恐るべき旅の追憶に堪えないものゝやうに語り出した。
[#1行あき]
 丁度洋畫をやり出してから、一年ほど立つてからのことなんだ。十七になつたばかりの三月に、自分が初めて洋畫を習つた、まあ先生のやうな林といふ男の家に行つた時に、村田といふ日本畫をかく男が來てゐた。その男といふのは、家もなく親兄弟もなく親類もない、全くの一人ぼつちで、盾かきながら旅から旅を年中歩きまはつてゐるので、その時も旅をおへて、いやその男には旅の終りといふことがないんだ。只旅のついでに東京に出て、その林といふ男の所に遊びに來てゐたんだ。
 僕が丁度林といふ男の家に行つて、二階に上つて行くと、その村田といふ男が來てゐてしきりに林といふ男に、放浪の旅のいろんな悲しいやうな自分の經て來た旅の思出を話してゐたんだ。僕は側でじつと聞いてゐた。するとその男の話してゐる話しが、僕には非常に面白くつて、物珍らしくつてなつかしいやうな氣がしてならない。僕は默つて一生懸命聞いてゐた。その男は、その時少し興奮して來たやうな調子で、感傷的になつて一人で語りつゞけてゐるんだ。山から山を越え、村から村を渡つて歩いてゐて、黄昏になつた時に、谷合の小さな貧しさうな家々からも、夕餉の煙りが樂しさうに立ち登つて、そして山から歸つて來る如何にも幸福さうな娘たちに自分は幾度も逢ふ。けれども自分は歸るべき家もないし、いつになつたら、どれだけ歩いたら飯が食へるか解らない。とぼ/\と暗くなつて夕日のうすれて行く山道を歩いて行くんだと、いふやうな話しもしてゐた。また知らない土地から土地の風俗の面白いことや、またその土地土地で逢つた人々との心持や奇遇だの、曉や夕ぐれの景色のたまらなくいゝことなんかも話した。僕が聞いてゐると、その男の話しはすべて僕にとつて未知のことで、僕に非常[#底本では「非當」]な好奇心を起さしたんだ。僕は、さういふ經驗を持つてゐる、そして話してゐるその男までが、たまらなくなつかしく好きになつて來たんだ。村田といふ男は、そしてこれからもまた旅から旅を歩かなければならないといふことを、その時幾度も幾度もくりかへしてゐたんだ。  僕は、それを聞くと、ぢつとしてゐることが出來なくなつて、自分もぜひ今度その旅につれて行つてくれるやうにと、いま初めて逢つたばかりの村田といふその男に、頭を下げてしきりにたのんだ。僕はその時どんな事があつても、その男とどうしても、一緒に旅に出て村から村、國から國と異る所を歩いて見たいと突嗟に思ひつめてしまつた。そして、さういふ旅に出たらば、どんなに愉快だらうと思つたんだ。すると、林つていふ男までが、
『さうだ。君はまだ世の中を少しも知らないから、丁度いゝ。一度旅にでも行つて來たらいろんな事が解つていゝだらうから、ぜひ一度一緒につれて行つて貰ひたまへ。』
 僕は本當にまだ一度も旅に出たことがないもんだから、すつかりその氣になつて、これから旅に出てその村田といふ男と運命を共にしやうと思つて、その時その男と一緒に旅に出るといふことを約束してしまつたわけなんだ。まあ、その男の話しに憧憬して、誘惑されてしまつたんだね。その男はなんでも、その時二十四五位だつたらう。
 僕は夢中で家に歸るとすぐに、京都に一月ほど盾かきに行つて來たいから、やつてくれと嘘をついて頼んだ。けれども家の人がどうしても許してくれない。またその翌日も一日、どうしてもやつてくれと頼んで、とうとう許されると、盾フ具箱やカン※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]スや、着かへの着物や雜誌などを用意して、家から金を貰ふと、待合せてあつた所でその村田といふ男に逢つた。その時は東京驛が出來たばかりだつたので、東京驛に行かうと云ふと、その男が東京驛はいやだから品川に行かうと云ふので、品川の停車場に行つた。
 丁度その時、僕の友だちが小田原にゐたんだ。僕は、自分が旅に出やうと決めた時、すぐその友だちの所に、近いうちに旅行するから君の所にもよるといふことを葉書で出しといた。それで僕は小田原に初めて行かうと云ふと、村田といふ男も諾いたのだ。僕が切符を買はふとすると、村田といふ男が、俺のも買つてくれつて云ふのさ。僕は自分の金で二人の切符を買んだ。僕は、その時までその男が、やはり自分のやうに金を持つてゐるのだとばかり思つてたら、その男は少しも持つてないんだ。僕はその時少し變な氣持がして、だまされるんじやないかといふやうな氣もしたけれども、そのまゝ汽車にのり込んでしまつた。なんだか出發の時から惡かつたんだ。雨が非常に降り出して來てね、なんとも險惡な天候になつて來たんだ。
 小田原について、その友だちの宿屋を訪づねると、友だちが丁度ゐなかつた。宿の人が大變親切なのでそこで休んで友だちの歸るのを待つてゐた。さうすると村田が、小田原から一里ばかり在の、井泉の觀音といふところのある寺の住職と懇意だから、自分は一足先にその寺に行つてゐると云つて地圖なんか書いて街道を教へて、そのまゝ行つてしまつたのさ。僕は、その男が行つてしまふと、急にその男にこのまゝ置いてきぼりをされてしまつたやうな氣がして、淋しくつて仕方がなかつた。
 それからしばらく立つと、友だちが歸つて來たもんだから、その友だちといろんな話しをして、その夜はその宿にとまつて、翌朝僕は友だちと二人で、小田原の海岸を、樂しく歩いたんだ。そして僕は午後になつてから、友だちと別れてその男が行つてゐるといふ、井泉の觀音といふ所を訪づねた。荷物をかつぎながら、ぽつぽつと田舍道を歩いたのだ。所がいくら行つてもいくら行つても、同じやうな田舍道なんだ。そのうちにもう夕方になつて、道々の百姓家には灯がつき初めるし、村の男が、暗くなつて行く小さな流れで、馬を洗つてたりなんかして、その影が黒く淋しく水の上にうつつてゐたりなんかした。僕は急に心細くなつて來たのさ。初めてなんだらう。そんな田舍道を、それも少しも知らない道を夕方おそくなつて、もう殆ど夜になつてしまつてから、たつた一人で歩いてゐるんだから。
 すると、左の方にぽつりと灯が見えた。それでその灯を目あてに、一生懸命歩いて行くと、古い寺があつた。それで僕はすぐに入つて行つて、村田といふ男がゐるかつて訪づねると、出て來た小女のやうなものが、すぐに、御出でになりますつて答へたので、僕はほつとして玄關に立つてた。すると奧の方から村田といふその男が出て來て、僕を奧の方につれて行つたんだ。
 村田といふ男は、この寺に度々厄介になつてるらしいのだ。僕とその旅に出る前も、ずつとこの寺にゐたやうなんだ。この寺の住職といふのは、帝大の三十年頃の文科出身で、仙人のやうな人なんだ。けれども非常に名望家で檀家などもたくさんあるといふ話なんだ。
 所が、その村田といふ男が、その寺の細君と、その時今考へると戀に落ちてたらしいのさ。その細君といふのは、その時丁度病氣で實家に歸つてゝゐなかつたけれども、なんでも小田原の街の資産家の娘で、女學校を卒業してゐるんだ。そして僕が行つた時も細君はゐなかつたけれども、その細君の妹だといふ、きれいな娘が遊びに來てゐた。
 もうその日はおそいので、明日の朝出發することにして、その夜はその寺に泊ることにきめてゐると、夜更けてから村田といふ男が急に、僕に、
『散歩に出やう。』
 と云ふのさ。それで一所に寺を出て、隨分僕はその男の通りに歩いたと思ふと、とうとう小田原の町に出た。そしてある大きな家の門の前に來ると、その男が、こゝが寺の細君の實家だと言つて、
『一寸、待つてくれたまへ。』
 と云ふと、村田は門のなかに入いつて行つてしまつた。僕は門の所で待つてたけれども淋しくつて仕方がなかつた。そこの家は門からよほど遠くつて、門のなかには木が一つぱいに繁つてゐる。夜はふけてるし實際淋しかつた。それで僕ものこ/\と門のなかに入つて行くと灯りが洩れてる窓があつて、その窓によつて村田といふその男が立つてゐるんだ。そしてその窓の格子に色の白いやつれてゐるやうな女がつかまつて、その男となにかひそ/\話してゐるのだ。僕はすぐにそれがあの寺の細君だと思つた。そしてなんでもその部屋は細君の部屋らしく、なかはよく見えなかつたけれども、床がしいてあるやうに見えた。
 しばらくすると、その男が泣きながら出て來たんだ。僕が門の所で待つてゐると、泣きながら出て來て、僕に歸らうと云つたまゝ、すたすたと歩き出したのさ。そして歩きながらその男は、悲しさうに一人ごとを云ひ初めたんだ。
『可愛さうに、あの女の病氣はなほるだらうか。今度旅から歸つて來るまで、生きてゝくれゝばいゝけれどもなあ、もうあの女とは逢はれないかもしれない。そうかして生きてゝくれゝばいゝが、――』
 と、いふやうなことを、くど/\と云ひ初た。僕は全くどうしたらいゝかと思つた。默つてその男のあとからついて歩いてたんだ。
 その晩寺に歸つて泊ると、翌朝寺で朝飯を御馳走になつて、晝の辨當を造つて貰ふと、仕度をしてその寺を出た。寺を出る時、村田といふ男は、その住職から金一圓貰つた。そして、寺を出ると二人は歩いて馬入川に出た。それから足柄峠を登り初た。所がなか/\、いくら登つても登つても頂上に來ない。だん/\登つて行くと、目の下にずつと小田原の海や町が見えるのだ。僕たちはその峠を半日登りつゞけた。所が急に途中で大雨が降り出して來てね、雨よけをする所もないし、見るうちにぬれてしまいさうなんだ。するとふと右側に鳥居がある。鳥居をくゞると石段があつて、その石段がまた先の見えないほど長いんだ。けれどもなんでも上に登つたら、社かなんかあるだらうと思つて、一生懸命に登り初めると、上に大きな稻荷神社があつて、そして周圍には、古い樹や大きな杉の木なんかゞ一面に繁つてゐて、物凄いやうに晝でもうす暗い。僕たちは、どこか休む所がないかと思つて、あたりを歩いて見ると、すぐそばに神樂堂があつたので、二人はその上に上つて腰をおろした。その時は雨がやんでしまつてゐたけれども、大きな杉の木が轟々風でゆり動くんで、なんとも言はれないほど物凄いんだ。僕は、小さくなつてしやがみながら、なんとも云へない不安に身體がふるへて來て仕方がなかつた。そして、しきりに家のことなんかゞ思浮んで來てならないのさ。僕は、こんな所にゐてこれからどうするのかと思ふと、不安で不安でならないんだ。空は暗いし、周圍の景色が物凄いんだらう。けれども村田といふ男は、こんな事に慣れてると見えて平氣なんだ。そして辨當を出して喰ひ初めた。僕も腹がすいてゐたので、喰はふと思ふけれども、身體がふるえてなんとなく心配やら不安やらで、思ふやうに握り飯が喉咽に入らないのだ。すると、下の方から、乞食の群が三四人登つて來て、僕たちが神樂堂の上にゐるもんだから、不思議さうに氣味惡い眼でじろ/\自分たちの方を見ては、堂のまはりをうろうろとまはり初めるのだ。そして、いつまでたつても何をするでもなく、また降りても行かずにうろうろと幾度も幾度もまはつてゐるんだ。僕の、すぐ頭の上では激しい風が吹いて、大きな杉やなにかの木が物凄くゆれてるし、そして下を見れば、汚ならしい氣味の惡い乞食が、三四人もうろ/\歩きまはつてゐるし、僕はその時なんだか泣き出したいやうな厭な氣持がして來た。こんな思をする位なら家にゐた方がいゝなんて心の中で考へてゐたんだ。
 それから丁度午後の二時頃に、そこを出てまた登り初めた。途中で一軒の田舍家があつて、お爺さんとお婆さんとがゐたのだ。そこでお茶を貰つて呑んで、やうやく四時頃になつて、峠に登りついた。
 それから二人はまた下り出した。すると夕方になつて絶壁に出てしまつたんだ。どうしやうかと思つて、下の方を見ると、ずつと下の方には鐡道が通つてゐる。それで二人は、その鐡道の線路に出やうと思つて、今度はその絶壁を降り初めた。そしてやうやく鐡道線路に出ると、その線路をつたつて歩き出した。道々、歸つて行く工夫たちやなにかに幾度も幾度も逢つてゐるうちに、いつの間にか日が暮れてしまつたんだ。そして、いくら歩いてもいくら歩いても停留場に出ないんだ。
 すると村田といふ男は自分でも困つてしまつたもんだから、だん/\僕を邪魔物あつかひにし出してぶつ/\云ひ初める。なんでも自分一人なら、どうでもなるといふやうな考らしい。けれども僕は、こゝでこんな眞暗な夜に、しかも鐡道線路のなかで、この男からはなされたら、どうすることも出來ないから、僕はその男に見すてられたら大變だと思つて、一生懸命になつてその男のあとをついて歩いた。僕はその時怖かつた。道も知らないし、地圖もその男が持つてるんだから。そのうち、やうやうのことで、彼方の方に灯が見えて來たので、それを目あてに歩き出すと、夜の十一時過ぎになつて、御殿場の停車場に出た。それから二人はすぐに停車場の近所の飮食店に入つた。その男はビールをのんだ。僕も初めてその時ビールをのませられた。そして、天丼をたべた。村田といふ男は、それからどうしやうと考へてたやうだつたが、その時沼津に行く汽車が丁度御殿場を出る所なので、それに乘つてしまつたんだ。そして沼津に行かふと思つてゐると、汽車のなかに行商人がたくさん乘てゐた。村田がその行商人と話し初めた。僕はじつと聞いてゐると、村田は、これからどの方面がいゝだらうなんて云ふことを聞いてゐた。すると行商人が得意になつて、自分が今まで歩いて來た町や村の話しをし初めた。そして、あなた方が盾おかきになるならば、これから馬鐡で吉原といふ所に行つて、そこの吉田屋といふ宿屋の主人にお逢ひになつた方が都合がいゝでせう。その吉田屋の主人といふのは非常に南畫が好きで、いろいろ旅の庶tなどがたくさん行く、といふやうな話しをしたんだ。すると、村田はすぐに吉原へ行かうと云ふので、吉原へ行つてその吉田屋といふのに泊つた。
 翌朝、眼がさめるとすぐに、村田は宿料を心配してゐるらしい。彼はその時五錢しか持つてない。そして僕に主人を呼んで來いと云ふので行つたけれども、主人は病氣だとか居ないとか云つて出て來ない。そして宿料の催促をそこの宿の女將が云ひに來たんだ。そこの家では、これまでいろんな旅の盾ゥきが、主人が渚Dきだといふことから訪づねて來ては、無料で宿つて行つたらしい。それでそこの女將が、もうさういふ盾ゥきだと見ると、主人をけつして出さずに、自分が早速宿料の催促に出るらしい。
 村田は、金がないから土地の經師屋をよんで盾かゝせて貰ひたいと云つたところが女將は、この土地には經師屋なんかないと云つて、なんでも宿料を拂つてくれと云ふんだ。するとその男は女將の前で恐い顏をして、ぷん/\怒り出した。その村田といふ男は、髮の毛をながくして、一寸おどしのきく恐い顏をしてゐるんだ。すると女將さんの方も怒り出した。僕は側にゐてどうしたらいゝだらうと思ふと氣が氣でなかつた。逃げ出すことも出來ないし、そしてなんとなくその女將さんの前に顏を上げてることが、恥しいやうな心になつて、どうしやうかと、じつと頭をたれたまゝうつむいて考へ込んでしまつたんだ。するとその男が急に僕を怒鳴りつけてね、うつむいてる顏を不意に、額の所に強く片手をあてると、ぐんと上を向かせた。そして、なぜそんな恰好をしてゐるんだ、馬鹿な奴だな、何が心配なんだこれからけつしてそんな眞似をしたら許さないぞ、と叱りつけたんだ。僕はその時實際泣きたいやうな氣持がした。  すると女將さんがそれを見て、急に僕が可哀想になつたらしい。そしてその村田といふ男を非常な惡物と思ひ込んでしまつたやうなんだ。その男が僕を叱りつけるとすぐに、女將さんはその男を叱りつけるやうに云つた。
 『まあ、可哀想に、こんな何も知らない子供に向つて、なにを叱るんです。あなたが惡いんじやありませんか。あなたが只宿料を拂つて下さればいゝんです。』
 と、云つて僕の方を氣の毒さうに見てゐる。そして女將は、なんでもその男を自分の宿から、出來るだけはやく出してしまつた方が得策だと考へたらしく、とうとうあるだけの金を出さして宿を出ることにしてしまつた。
 所がその男は五錢しか持つてないので、五錢を出して、今度はお前いくら持つてるか出して見ろと云ふので、僕はほつとして金を出さうとしたんだ。
 僕は、その時まだよほど金を持つてゐた。懷の蟇口には七十六七錢より入つてなかつたが、帶の間には家から貰つて出た金が、まだよほど紙につゝんで入つてゐた。所が、その男はそれをその時まで知らなかつたらしい。それで僕がふと帶に手をかけて、出そうとするのを見てとると、突嗟に此奴金を持つてやがるなと感じたらしく、驚いて、『出すな』と云ふやうに眼で強く僕を白眼みつけた。そしてそれと同時に手早く僕の懷から蟇口をひつ卓つてさかさまにすると、ありたけの金が疊の上に落ちた。
 僕が帶の間から金包を出さうとして、その男に白眼まられてはつとしてよした時は、女將がふと側見をしてゐた瞬間なんだ。僕はその時から急にその男が恐ろしくなつて來た。そしてなんとなく、その男から逃れられないやうな氣がして、今までもその男のまゝについて來たんだけれども、今度は絶對にその男の爲めに、奴隷のやうになつて從ひ初めたんだ。
 村田は、僕の蟇口からさらけ出した金を、自分の持つてゐた五錢と加へて、女將のじつと見てゐる前で勘定し初めた。金は八十三錢か幾錢かになつた。それからその男は、僕の持つて來た雜誌を二三册と、女優ナナといふ古びた本とをかさねて、その上にその八十幾錢かの金をのせると、女將の前に出した。そして、その男は一つ一つその雜誌や、本の定價表を讀み上げて、東京では非常に高い本なんだとおどしつけるやうに云つた。そして二人はやうやく宿屋を出た。
 宿屋を出るとすぐに、その村田といふ男が大きな聲で笑ひ出した。そして、
『いまのは芝居なんだから、惡くとつてはいけないよ。それにあんな所で、金をみんな出すもんぢやない。』
 と云つて、非常に今度は僕に對して優しくするんだ。僕はその時、また此次に宿屋へとまつて金を拂はずに、厭な思をするのがいやだつたので、その男に渡しておいたら、今のやうな思をしなくてもいゝだらうと思つた。それで宿屋を出るとすぐに、その男に自分の金を全部渡してしまつた。するとその男が喜んで、非常に機嫌がよくなつた。
 それから二人は吉原から江尻に出て、停車場からすぐに車二臺をたのむと、一番上等のホテルに泊つた。するとそれから丁度雨ばかりがつゞいて、とうとう一週間もその宿屋にゐた。そして一週間目に今度は矢張り、宿料の催促に來た。するとその男は今度は金を持つてゐるんだから、拂ふだらうと思つてると拂はない。そして盾かゝせてくれと云ふので、そこの主人は仕方がなしに土地の經師屋をよんで來た。そして話すと、半切を何枚と襖の幾枚とを書いてくれゝば、一週間位のお二人分の宿料は此方で持つてもいゝと云ふので、盾かく事になつたんだ。その男は毎日盾フ道具を部屋一つぱいに散らかして、盾書き初めたけれども、漸く一日に二枚位の半切しか書かない。あとはごろ/\遊んでゐるので、約束しただけの盾ェ出來上らないうちに、またすぐ一週間もたつてしまつた。
 すると今度經師屋が、これだけの盾ナ二人の二週間分の宿料は拂へないと云ひ出すし宿では金の催促をする。そして村田といふその男は、その間に入つてまた怒り出したんだ。けれども、とうとうあとで少しばかりの金を拂つて、その宿を出た。僕はなぜ金があるのに拂はないのかと思ふと、厭になつてしまつた。その位ならかへつて野宿でもした方がましのやうに考へたんだ。
 それから今度は、江尻から船で清水港に出て、清水港を一週すると田子の浦に出た。そして、羽衣の松のあたりの丘の上で休んだ。所が丁度東京の、山脇女學校の生徒が、修學旅行でたくさん來てゐて、すぐ下の海邊の所で遊んでゐるんだ。僕は松の影で、いろんな事を考へながらじつとしばらく下の方を見てゐた。僕は東京のことなど、いろ/\頭に浮んで來て、しばらく夢のやうな心持になつてしまつた。そのうちいつの間にか、下の方に女學校の生徒も見えなくなつてしまつて、夕方になつたらしく、漁師が地曳を初めてゐる。
 二人は急に夕方になつたことに氣づくと、ぽつぽつ歩き出して、久能山に登つて奧の院の前で休んだ。するとすぐ側に井戸がある。僕がなんの氣もなく石を一つ投り込むと、隨分しばらくたつて、もう音がしないのかと思ふ頃になつて、トーンと音がするんだ。あんまり深さうだつたので、今度は二人で井戸の釣瓶をたぐつて見ると、千幾尋とかぞへ切れないほどある。
それから久能山を下りて、縣道を靜岡の方に向つて歩き出した。丁度もうその時は五月の初めになつてゐて、二人が夜道を歩き出すと、靜かな道の兩側で急に蛙がやかましく鳴き出す。それに螢が彼方此方と飛んでゐて、もうすつかり夏になつてしまつたやうな景色なんだ。二人がしばらく歩いてゐると、遙にあかるく灯がづツとつゞいて光つてゐるのが見えた。じきに靜岡に出た。
 靜岡に出ると、村田といふ男はすぐに、街の表具師を探し初めた。靜岡はもう東京とちよつとも變らないやうな、都會なんだ。一所になつて街を歩くと、丁度街には一ぱいに夜店が出てゐて、きれいな若い女だちが浴衣を着て、夜店の間をぞろ/\と歩いてゐる。そして學生なんかも澤山歩いてゐて、僕はすつかり東京に歸つて來てしまつたやうな嬉しい明るいやうな氣持がした。けれどもすぐに自分の樣子の見すぼらしいのに氣がつくと、がつかりして急に恥しくなつて來た。そして街を樂しさうに歩いてゐる人だちが、みんな羨ましいやうな氣がして來たんだ。
 その男は表具師がみつからないものだから、夜がふけて來ると、僕をつれて待合に行つた。そして藝者をたくさん上げてさわぐと、そのまゝ夜は待合にとまつて、そして翌日、今度は富士見峠を越えて、興津から甲州街道に出た。そして、午後の三時頃に萬澤といふ所に出たんだ。萬澤では丁度通りすがりの村はづれの小學校に行つて、この邊に盾フ好きな人がないかと云つて訪づねると、丁度この土地の有志で、非常に盾フ好きな吉田といふ男がゐると云ふことを教へてくれた。それですぐにその男の所を聞いて訪づねた。
 所がそこの家の細君といふのが、旅から訪づねて來るやうな盾ゥきの爲めに、金を使ふのを嫌がつて、その主人を監視してゐるやうな樣子なんだ。そしてさういふことの爲めに、夫婦の間が不和になつてるらしいのだ。然かしその家を訪づねて、吉田といふ主人に逢つたことは逢つたけれども家には細君がゐるんで、なんとなく云ふこともすつかり云はれずに、その男も別になんにも云つてくれないから、仕方なくその家を出て宿屋についた。すると、しばらくたつてその吉田といふ人が、洋服の兩方のカクシといふカクシに、ビールの瓶をつめ込んで、二人を宿屋にたづねて來たのだ。そしてなに宿賃位は俺が引受けてやる。まあ先程は失敬した。呑まふじやないか、と云ふので、それから三人で宿屋でビールを呑み初めた。そしてすつかり三人とも醉つてしまつて、夜十一時すぎになつてから、すべての苦痛を忘れて街のなかを唄をうたひながら、變な踊りを踊つて歩いたんだ。
 それからおそくなつて吉田といふ人と別れて、村田と宿屋に歸つて來ると、夜中になつてその男が急に苦しみ出した。そして布團の上に吐き初めた。その吐いたものがなんとも云へない厭な臭がするのだ。僕は驚いて飛び起きて、その男の脊中をさすつたりなんかして、氣持のいゝ夜風にあてゝやらふと思つて窓の側につれて行つてやつたんだ。もうその男は眞青になつてるのさ。そして丁度二階なもんだからその男が窓から屋根の上にはき出してしまつて屋根一つぱいにすつかり廣がつてしまつた。そして丁度夜明近くになつてから、二人とも床に入るとすつかり疲れ切つてるもんだから、翌日晝近くになつて、漸く眼がさめた。するとまた吉田といふ人が訪づねて來たんだ。そして二人がぐつたりして、まだ朝飯も食はずにゐるもんだから、どうしたといつて聞くのさ。それで夕のことを話して、これから出發うと思ふと云ふと、もう一晩宿つて休んで行つたらいゝだらうと、すゝめるんだ。けれどもなんだか氣の毒なやうな氣がして、食事をすますと、午後その宿を出た。宿を出る時、吉田といふ人が、二人の宿賃を拂つて村田といふその男に路金だと云つて、五圓くれた。そしてこの先睦合といふ所にゐる、菊地といふ醫者を訪づねたらいゝだらうと云つて、添書をくれたんだ。その男が屋根一つぱいに吐いたもんだから、朝になつてね、宿の婆さんがバケツに水を持つて來ては、ザーザー水を流して洗つてゐるのさ、屋根の上を。
 二人は、それから富士川に出た。そして富士川にそふて登つて行くと、そこは非常にいゝ景色なんだ。乘合馬車なんかも通つてゐた。睦合につくと、すぐに菊地と云ふ人の所を訪づねた。その人はまた前の吉田といふ人よりも快男兒である。そしてある寺につれて行つて貰つて、いろんな盾見せて貰つた。翌日、今度はそこを出て身延に向つた。道々大きな杉の木が欝蒼と繁つてゐて、左の方に七面山が見えるんだ。
 丁度菊地といふ人から、また添書を僕たちは貰つて來たので、身延山に登ると社務所の山本とかいふ執事を尋ねたのだ。所がその人がゐないんだ。身延山には、なんだか僧侶の學校かなにかあるんだね。坊主がたくさん本堂の所に出て、いろんなことを云つて遊んでゐるのさ。それでそこに行つて見たけれども誰も相手になつてくれないで、この寺の奧に、美術學校の古い卒業生が一人、ずつと前から世話になつてゝ盾かいてゐるから、そこに行つて見たらいゝだらうと云ふので、案内されてそこに行つたんだ。そしてその男に逢つたけれども、その男はまるつきり仙人みたいで話しもなんにもしないんだ。相手になつてくれない。それに隨分下手な盾かいてゐるのだ。
 仕方がないから僕たちは、そこを出て山田屋といふ宿屋にとまつた。そしてながい間下宿するやうなことを云つた。金はまだ東京から送つて來ないから待つてくれ、なんて云ふことを、出鱈目に村田が宿の女將さんに云つてるのさ。そして盾フ道具なんか部屋一つぱい散らかして、盾ネんか書き初めたけれども翌日になると、その男が逃げやうと云ふんだ。僕はもうその時は、そんな事に慣れてしまつてたもんだから、自分の大切なものだけを懷に入れて盾フ具箱を肩にかけると、部屋は散らかしたまゝにして、盾窿Jン※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]スなんかを部屋の壁にはりつけたり、ぶらさげたりして着物もなにもそのまゝに、一寸寫生に行つて來ると云つて宿を出た。そして二人は宿を出ると一生懸命走り出した。身延山の山門のなかに入つてしまへば、大丈夫なんだ。もうその時は金が一文もなくなつたらしい。その男は、俺はこゝに待つてゐるから、僕にもう一度行つてあの身延の奧にゐる美術學校卒業生に金を借りて來いつて云ふんだ。僕は仕方がないから一人で行つて、金を借してくれと云ふと、默つてその男が十錢出したのさ。僕は、その十錢を貰つて急いで戻つて來ると、その男が、山門のかげの所に立つて待つてゐた。その邊は癩病患者の乞食が多いんだ。
 それからその十錢で僕はバツトを買ふし、その男は煙草をのまないので、キヤラメルを買つたんだ。所がその男はキヤラメルを先に食べてしまつて、僕が煙草をうまさうに吸つて歩いてるのを見ると。癪にさはつたらしい。急に、僕からバツトの箱を引つたくつて、通りがゝりの崖の下に投げてしまつた。そして、もう呑むなと云つて、笑ひながら歩き出すんだ。僕はびつくりして立ち止まつてしまつた。崖の下をのぞいて見たけれども煙草は見えないんだ。崖の下には杉の木が澤山生えてゐた。僕はどうしやうかと思つた。僕はその頃から煙草が好きでね、殊にその時は腹がすいてるし、煙草がなくつては歩けさうもないんだ。僕はそれに、まだよほどあつたその煙草をそのまゝ捨てゝ行くのがどうしても惜しくてならない。そのまゝどこにあるか見えないけれども、なにしろこの崖の下にあるバツトの箱を見捨てゝ、歩き出す氣になれないのさ。それにその時はもうよほど此方も腹が空つて來てゐたし、その男と一緒に歩くのが、急に厭でならなくなつて來たんだ。僕は默つてその煙草を探しに崖を降り初めた。もうその男が先に行つてしまつてもいゝつもりで、たつた一人で崖を降りると一生懸命になつて、木と木の間や枝の上だのを見ながら、煙草を探した。なか/\見つからないんだ。けれども僕は、どうしても探し出さうと思つて、やうやく一時間ばかりしてから、杉の木の根元に少しもよごれてない元のまゝなバツトの箱の落ちてるのを見つけ出した。その時は嬉しかつたね。僕はもうその時、とうに村田といふ男は先に行つてしまつたもんだと思つてたから、それから煙草を一本だして吸つて、ゆつくりと崖を登り初めた。そして一人でぽつ/\と歩き出して、しばらく立つと、後からオーイつて呼ぶ奴があるんだ。もうその時は日暮れになつてしまつて周圍がうす暗いんだらう。人一人ゐない山道で呼ばれたから、僕はギヨツとしてふりかへると、二三間彼方の木の影に、村田が立つてゐる。そして待つてたと云つて、また僕と二人で歩き出したんだ。僕はまた煙草を取られるといけないと思つて、今度は手に持つて吸いながら歩いてゐると、その男が今度、煙草を一本くれと云ふんだ。僕はもう何氣なく持つてる箱をそのまゝその男に渡すと、その男は取るなりいきなり煙草を箱の上からねじつて、めちや/\にして吸へなくしてしまつた。そして捨てると足でふんでしまつた。僕はもう今度は拾つて吸ふことも出來ず、あきらめて默つて歩き出した。變な男なんだね。
 それから富士川に出た。途中百姓たちと逢ふと、百姓が僕たちのことを、撃劍つかいだと考へたのさ。その男は髮をながくして、變な木綿の紋付の羽織を着て袴なんかはいてるんだらう。そして丁度僕が弟子かなにかのやうに、荷物を持つて歩いてゐるもんだから、百姓が僕だちに云ふには、この村には非常にうまい撃劍の名人がゐるから、そこに御出になつたらいゝだらうと云ふ。村田はさも撃劍使の樣に平氣で其の家を訪れるんだ。所が丁度その主人がゐなくつて、細君ばかりだつたので仕方なくそのまゝそこを出て歩き出した。
 丁度それから富士川にそうて月見草の多い土手を歩き出した。月見草の丈が殆ど僕のたけ位もあつて、その先に大きな明るいやうな黄色い花が咲いてゐる。そこは素的にいゝ景色の所でね、その月見草を分け/\歩いて行くと、うす暗いなかにあとからあとから、大きな大きな月見草の花が動いてるのさ。そして丁度日が落ちてしまつたあとで、かすかに赤く彩られてゐる空が遠くに見えて、夕月が出てゐる。それに河の表をふいて來る風が、そりやいゝのさ。殆ど一里ばかりも二人は月見草を分けて歩いた。すると灯がみえて岸の所に渡しがある、その渡しを渡つて向岸に渡らうと思ふと、渡し賃が一人前四錢だといふんだ。身延山で借りて來た十錢はつかつてしまつたし、それでもその男が三錢だか持つてゐた。それで三錢よりないが、どうかして渡してくれないかと頼ンだけれども、どうしてもいけないつて云ふので仕方がなくまた歩き出した。すると彼方の方に橋のやうな影が見えるんだ。それをあてに行つて見るとはたして橋だ。橋の袂には番人もなにも居ないので、二人はその橋を渡つて行くと、彼方側の橋の袂に番小屋があつて、なかゝら四五人の村の若い男が出て來た。そして渡し賃だけの金を請求するので、二人は全く困つてしまつて、金はこれだけしか持つてないからこれで許してくれと、一生懸命になつて橋の上に手をついて頼んだ。なか/\許してくれない。夜だつたので僕たちの着てゐるきたない着物が着物がよほどいゝ着物に見えたらしいんだ。それでそれだけの身なりをしてゐて、金を三錢しか持つてないといふのは、きつと嘘だらうと云つて責める。そしてなぐれなぐれなんかと云ひ出すんだ。僕はその時全く夢中になつて、眞實に橋の上に坐つて額を土につけて、許してくれと願つたね。すると今度は若いものたちが、着物を置いてゆけだの帶を置いてゆけなんて云ひ出したんだ。所へ丁度今まで小屋のなかにねてゐたらしい、年老つた男が、なんだやかましいと云つて出て來て、僕たちの云ひ分を聞くと許してくれた。僕は全く嬉しくつて、その人にお禮を云つて、橋から出ると、鰍澤に出た。そして林やといふ宿屋に行つてすぐ寢たんだ。
 翌朝になると、神經質な主人が出て來て、宿料を請求に來た。村田といふ男は、東京からいまに金が來るとかなんとか云つてごまかさうとしたが、その宿屋では非常に盾ゥきといふやうなものを恐れてゐるんだ。前にも丁度日本畫家だと云ふ男が來て、畫會をやるとかなんとか云つて色々の人を集め、その時六十圓ばかりの金を集めると、東京に絹を買ひに行つて來ると、宿を出たつきりそのまゝ歸つて來ないんださうだ。そして丁度僕たちの所に出て來た、色の白いやせたやうな女中がその時姙娠してゐた。それがその日本畫家の胤だといふので、非常にその土地では日本畫家といふものゝ評判が惡く、恐れてゐるんだ。  それでその主人は、この宿は休んだり晝食をとつたりする者ばかりが相手なのだから出て行つて貰ひたいと云ふ。丁度その時下の方は馬方たちが非常にたくさん來てゐた。村田は、そこで怒り出したんだ。所がその主人がこまつて、下に行つてその馬方たちに、上に變な男が來てゐて宿錢を拂はないのでこまつてるといふやうなことを洩したらしい。二三人の馬方たちが怒つて、なぐつてしまへなんか云つて、主人と一所に二階に上つて來たんだ。けれどもそこも、どうにかして盾かいて出ると、今度は甲府に出た。そしてその男は甲府の青柳町といふ所にある、表具師を訪づねて、盾かゝせてくれと頼んだ。ところがその表具師が大變快よく承知した。村田はその家にゐることになつて、僕はその表具師の妾の家に泊らせられた。その妾といふのは、一寸きれいな女で僕を非常に親切にしてくれるんだ。所が、その村田といふ男がその表具師の家に泊つて、その主人に僕のことをまあ惡く云つて、あんなしようのない男が俺について歩いてるので、非常にこまつてるといふやうなことを云つたらしいんだ。するとその表具屋の主人が、今度は僕のゐる妾の所に來て、僕の前で村田といふ男のことを惡く云ふのさ。なにしろあんな盾ェ下手ではとてもこの甲府で書かせてくれる家なんかありやしない。そして君のことを邪魔物のやうに云つてるが、本當に兄弟でもないやうだしどうして一緒に歩いてゐるんだ。といふやうなことを親切にたづねてくれるのだ。それで僕がありのまゝのことを話すと、その妾が僕に非常に同情してしまつて、村田といふ男をこの上もない惡い奴だと思つてしまつた。そして、もうあんな男と一緒について歩かずにこの家にゐた方がいゝ。歸りたくなつたらば東京へ歸して上げるからと云つて勸めるんだ。けれども二三日たつと村田といふ男が出發うといふので、僕はまたその男と一緒にその家を出た。そして今度は御嶽に登つて、わけを話して御嶽の金谿ホテルに泊つた。御嶽は非常に景色がいゝ。右が斷岩絶壁で、右に激流になつてゐるんだ。その金谿ホテルの主人といふのは矢張り盾ェ好きで、非常にいゝ人なのさ。それから二人は韮崎から、小淵澤に出て上諏訪に出た。
 上諏訪では、この前村田といふ男が畫會をやつた時大變應援してくれたといふ、新聞記者の家を訪づねた。丁度主人がゐなかつたけれども、細君にたのんでその家にとめて貰つた。その家に泊つた時、僕が寢てしまつてから、その細君といふのが次の部屋で、村田となにか一生懸命に話してゐた。何を話してゐるのだらうと思つて聞いてると、その村田といふ男も知つてるある男が、やはりこの新聞記者の家にとまつたことがあつて、それからその男が、その細君に對して變な擧動を示したのださうだ。そしていまでもしじゆう艷書をよこしてこまつてゐる。もしこんなことが主人にでも知れたら大變だからどうぞあなたがその男に逢つたらば、ぜひ忠告してくれないかといふことを、くれ/″\もたのんでゐるのだ。翌日カフエーへ村田と一緒に行つたら、カフエーの女やなにかゞ、みんな村田を知つてゐるんだ。村田さんまた入らしたんですか、なんて云つてゐた。
 それから今度上諏訪から蒸汽で、岡谷に出て岡谷から鹽尻峠に出た。そこから丁度諏訪湖一帶を見おろすことが出來て、非常にいゝ景色なんだ。それから信州の松本に出て、遙に日本アルプスの連山を望んだ。そこでもやはり盾ェ好きだといふ養老館といふ宿屋の主人を訪づねて、一晩とめて貰つた。その宿屋は大きな宿屋でね、僕だちが行つた時女中が出て來て、乞食とまちがへてしまつてしきりに手をふつたりしてた。主人をよんでくれと云つて、やうやく主人に逢つてから泊らせて貰つたんだ。本當にその時僕なんかは裸足で、そりやひどいなりをしてゐた。
 そこを出てから、飛騨[#底本では「飛彈」]の高原を八里ほど登つた。いくら行つてもいくら行つても水が一滴もないし、人家も見あたらなかつた、咽喉がかわいて仕方がなかつた。すると漸く夕方になつて泉を見つけた。それからその水に顏をつけて呑んで、人家のある所まで行つて、その土地の駐在所を尋ねて、この邊に宿屋がないかと聞いた。巡査の駐在所は、丁度飯時らしく巡査の若いおかみさんらしいのと、その巡査のお母さんらしい婆さんと三人で、ソバ粉かなんかを丸めて燒いて、醤油をつけて食つてるんだ。その邊はそれが常食なんだね。巡査はいまその宿屋に案内するから一寸待つてゝくれと云つて食事をすましてしまふと、その巡査に案内されて、淋しい眞暗な家もない所を少し歩いて行くと、やがて百姓屋の大きいやうな家に行つた。そこでは一人の女が火をたいてゐた。僕たちにヒエの飯を、茶碗みたいなものに押しつけるやうに盛つて、それと山に出來る大きな太いウドをそのまゝ輪切にして味噌汁を出した。ヒエの飯はとても不味くてたまらなかつたけれども、その味噌汁は非常にうまいんだ。それから先程、巡査の所で見たやうなソバ粉を丸めた團子のやうなものを、大きないろりの灰のなかから出して、醤油をつけてくれた。その團子みたいなものも素的なのさ。ヒエの飯はねばり氣がないせいか、口のなかに入れるとぱつと廣がつてとても咽喉に通らないんだ。
 翌朝になると、その女が宿料をくれと云ひに來た。二人は金を持つてないので、そのことを巡査に打ちあけて、この邊に盾かゝせてくれるやうな人がないかと尋づねた。すると巡査は、そんならさうと初めから云つてくれゝばいゝのに、宿屋がないかと云ふから宿屋につれて行つたんだ。まあ仕方がないからこの村の小學校の校長先生の所へでも行つてみたらばいゝだらうと云ふので、村田といふその男が僕に校長の所に行つて來いと云ふから行つたんだ。するとその校長が、僕を不良少年だと思つてしまつた。そしてお前は東京の無頼漢の不良少年だらう。よくお前のやうな奴が、東京から此方の方に流れ込んで來て、惡いことしてこまる。と云つて意見がましいことを云つて僕を叱りつけるのだ。僕は仕方がないから歸つて村田にそのことを話すと、村田が非常に憤慨して、校長の所に談判に出かけた。すると校長がその男を見て、非常に偉い男だと思つて感心して、ずつと以前にやはり旅の盾ゥきになにか畫會をやつて買つたといふ、一枚の盾持ち出して見せたりしたんだ。そして漸く二枚ばかりの唐紙を探し出して、これに盾書いて貰いたいと云つたので、その男はそれに一寸した盾書いてやつた。すると校長が二人の宿賃を拂つてくれて、三十錢ばかりをその男にわらぢ錢だと云つてくれた。
 それから二人は、そこを出て高山街道の方に出たんだ。その時はもう七月になつてゐる。僕たちは平原に出たんだ。その平原には一面に牛がはなしてある。夏中野ばなしにしてあつて、冬になるとつれに來るんださうだ。二人は、牛が一面にひろがつてゐるので、どうしても怖くつて、そのなかを通りぬけて行くことが出來なかつた。遠くの方からしばらくの間見てゐると、そのうちに野一面夕日に輝いて、夕方になつて來たんだ。そして周圍がだん/\うすれて暗くなつて行くと、かぞへ切れない程の牛が、みんなごろりごろりと横になつてしまつたんだ。それで僕たちも野宿しやうと云ふので、木の影に行つてその晩はねると、翌朝はやく、まだ牛の群が起き上らないうちに起きて、そこを通りぬけた。すると今度は素的に大きな、二三人で抱へられないほどの高い木が一面にそびえてゐるんだ。そしてその木は、ずつと上の方に行つてゞなければ枝が出てゐないので、高い上の方が一面に緑の葉で覆はれて、僕たちは太い木の幹ばかりの丁度トンネルのやうにうす暗いなかを歩いて行くのだ。そして大きな木の幹のやうなつたが、その木から木にまきついてたつてゐるんだ。一寸見ると大蛇のやうに見えるんで、僕ははつと思つた。あんな太いつたを見たことがないもんだから、本當に全く氣味が惡いやうなんだ。それにその上の木の枝には猿が澤山飛んで歩いてゐるのだ。
 そこを通りぬけると、今度は僕の脊よりも高い、葉の大さが一尺五六寸もあるといふ素的に大きな熊笹が一面にはへて、少し行くとその熊笹の上の所々に雪が殘つてゐるんだ。僕たちはその熊笹を分けてまたトンネルのやうにその大きな葉の下をくゞつて行つた。やうやく野麥峠の頂上に出た。すると、その峠の頂上に助け小屋といふ一つの小さな小屋が立つてゐるんだ。
 それは絲取りの女工を集めてこの峠をゆきゝしなければならないものが、萬一を慮つて、その峠の頂上に立てたのださうだ。その中には、まづ大きな爐があつて、薪が澤山一ぱいにつんであるんだ。そしてうすいきたないものだけれども蒲團だの、それからマツチ、湯をわかす大きな茶釜が一つそんなものがちやんとある。僕たちはまづそこに入つて湯をわかして呑むと、その晩はそこにねた。
 それからまた夜が明けるとそこを出て、歩き出したんだ。その時はまだよほど早くつて遠くの空がぽつと白くなつてるばかりだ。そして彼方を見ると、ずつと彼方の方に橋のやうなものが見えて、その前に白いものがぼんやり立つてると思つたら、遠くの方で變な音がしたやうな氣がして、その白いものが見えなくなつた。行つて見ると、はたして小さな橋があつて、そこに下駄が置いてある身投げがあつたのぢやないかと思ひながら、僕たちは歩いて行つたが、なか/\歩いても人家がない。
 所がやうやく大きな家が一軒あつた。僕たちはもうへな/\に疲れてしまつて、すぐそこの家の庭の方にまはつて、今晩一晩とめてくれと願ふと、その家にゐた人がみんなばた/\とかくれて行つてしまつたんだ。そして一番その家の老人らしいお爺さんが一人爐端に住つてゐるんだ。さうだその村は昔から變な村で、けつして他の村とつき合はないで、旅の者なんかゞ來ると非常に恐ろしがつてかくれるんだ。そしてどの夫婦も、どの夫婦もいくら夫婦がふえても、同じ家にすむんださうだ。僕たちはそんな事を知らないし、それに腹はすいてるし疲れ切つてるので、その庭の土の上に坐つて、一生懸命に一晩とめてくれと頼んだ。所が、その老人が泊めて上げてもいゝけれども、今日は少しとり込みがあるから駄目だつてことわるんだ。それで、どんなとり込みか知らないけれども、けつして御迷惑になるやうなことはしないからつて頼むと、その老人が實は家にゐる若い娘が、この頃人の知らないうちに夜遊びをするやうになつて、いつの間にか孕んだ。それを兄に見つけられて、きびしく叱られた。外出を監視されるやうになつてから、氣が少し變になつて今朝家出をした。それでいまこれから親類中總出で、その家出した娘をさがしに出かけるやうなわけだから、今日はどうしても泊るわけに行かないと云ふんだ。僕たちはそれでもなほ、それでは一緒にその娘を自分たちも探しに行くから、泊めてくれないかとなほもたのむと、その老人は、こんなことには他人が入るべきものでもないし、また口をさし出すことの出來ない親類中の掟になつてゐるからおことわりすると云ふんだ。それで僕たちも仕方がないからそこでお茶だけを貰つてそこを出た。その邊にはさういふ村が多いんださうだ。
 それからまたどうすることも出來ないので歩き出した。夜眞暗になるまでどうにかかうにか歩いてると、僕はなにかにつきあたつて轉んだ。起き上つてよく見ると、小さな便所のやうな小屋の側に、眞黒な牛がねてゐるのさ。僕はびつくりして歩き出すと、横合から裸の女が急に飛び出して來て、笑ひながら僕に正面から飛びつくんだ。僕たちは、それから漸く一軒の農家を見つけて泊めて貰つた。その農家で聞くと、僕に裸で抱きついた女はこの邊をうろついてゐる、色情狂なのださうだ。
 翌日、その家を出て歩き出すと、道で飴屋と一緒になつた。その飴やはもう四十を越してるのに、若い十八位の細君をつれて歩いてゐるんだ。その細君はどうかして逃げ出さうと思つても、監視がきびしくつて逃げ出すことが出來ないんださうだ。丁度昔の奴隷のやうなもんで、一たんその男の手につかまつたら、一生自由な身になることが出來ずに、その飴屋より強い男が出て來てその男が俺によこせと云ひ出すと、その女はまたその男に與へられて、その男のものになつてしまふんださうだ。僕たちは飴屋とつれになつて、ある大きな建築中の寺に行つて、そこに泊めてもらつたんだ。その寺は、旅を歩いてゐる大工や職人なんかゞよつて來ては、そこで幾日でも仕事をすると、そのまゝ賃金を貰つては行つてしまふ。そしてまたそのあとから來た大工が、そのあとを引うけて仕事をして行くといふやうになつてる面白い寺で、僕たちが行つた時には二三人の大工がゐた。そして、その夜はその大工だの飴屋だのと一緒になつて、ふしん中の寺のなかの佛壇の下のやうな所に入つてねたんだ。
 その夜はみんないろ/\の旅の話しを初めた。しまひには飴屋が太鼓をたゝいたりなんかして、踊り出したりした。それから翌日高山に出た。高山では長瀬館といふ宿屋に泊ると、隣りや方々の部屋にたくさん盾ゥきが來てゐるらしいんだ。默つて聞いてゐると、隣りの部屋では、東京の美術學校とかなんとか云ふ話しをしてゐるので、その男について僕たちは、その部屋に入つて見ると、隣りの部屋には、盾ゥきだの書家だのいろんな人が來てゐる。しばらく一緒になつて話してゐると、今度は書家だといふ男が、僕たちの部屋に遊びに來たんだ。それで村田が書家に、金を持つてないつていふことを話すと、そんなことはなんでもないなんて云つて、この土地に來る盾ゥきなかまの禮儀として、自分の描いた盾、一枚でも二枚でも持つて先に來てゐる盾ゥきを訪づねさへすれば、きつと逢はなければならないことになつてゐるんだから、盾ゥきなかまを※[第4水準2-12-11]つて歩いたなら宿賃位はすぐに出來るだらうつて云ふんだ。それで此のさきの別な宿屋に二階二間を借切りで來て盾かいてゐる男がゐるから、そこへでも行つて見たらいゝだらうつて教へてくれた。村田といふ男は、すぐに半切を二三枚書き初めたんだ。そしてその半切を持たして僕をその二階買切りの男の所にやつたのさ。すると、その男はすぐに會つてくれて、今日から二人で僕の所に來ないか、宿賃の方は僕の方ですつかりするからと云ふので、村田といふ男と二人でその盾ゥきのゐる宿屋の二階に行くことになつた。その盾ゥきのゐる宿屋の二階に行くことになつた、その盾ゥきは、いつまでゞもいゝから僕の方は少しもかまはないんだからゐたまへつて云ふんだけれども、三日ばかりして二人は宿を出て歩き出した。出る時、その盾ゥきは村田に路銀だと云つて、いくらか金までくれた。
 それから、富山に出る途中二人は猿まはしの女と友だちになつた。丁度猿まはしが草のはへてる土手のやうな所で、猿を肩からおろして休んでたんだ。僕たちもくたびれたので一緒にそこで休むと話し初めた。その女が僕に芋をくれたりした。僕は腹がへつてたのでそれを食ふと、その女が非常に疲れてゐるらしいので、その女の猿を背中に負つて、歩いてやつた。丁度その時僕たちは、その猿まはしだの行商人みたいなものだの、乞食のやうなものだのと一緒になつてぞろ/\、話しながら歩いたんだ。みんな富山に、出やうとしてゐるんだから。
 富山に出ると、富山はもう立派な街なんで僕は急にそんな猿まはしや、乞食のやうなものゝ群と一緒になつて歩いてるのが、恥しくなつたんだ。けれどもみんなは富山の街に入ると、別れ別れになつてしまつた。僕たちはそれから夕ぐれ頃船津に行つてゐた。船津つていふのは、神通川の上流にある三井の大きな銅山のある所なんだ。立派な西洋館がならんでゐて、窓からはピヤノやなんかの樂しさうな樂器の音が、方々から洩れて來る。僕はなんだか急に外國にでも行つたやうな氣がして歩いてゐると、倶樂部みたいな所があつて若い男たちが、※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]イオリンを一生懸命に稽古してゐるんだ。とても僕たちみたいなものにとり合つてくれさうもないのさ。そして夕方街に燈がつき初めると、方々から若い男と美しい若い女とがならんで、幾組も幾組も出て來ては、睦ましさうに通るんだ。僕は東京の夜のことなんか考へて、淋しいやうな心持になりながら、またその男の云ふまゝに富山の方にもどつて歩き出した。途中で夜になつたので、一軒の農家に泊つた。するとそこの家の十七になる息子が、やはり放浪して佐渡にゐるといふので、そんな話しをしながら、僕たちに同情して非常に親切にしてくれるんだ。
 翌日になつて、そこを出やうとすると、一人前四十錢だつていふので、それだけ拂つてそこを出ると村田は宿賃が高いと云つて一人でぶつ/\怒つてるのさ。
 また富山に出ると、今度はすぐに宿屋について、一日ぶら/\して暮してしまつたんだ。けれでも金はないし、どうすることも出來ないでゐると丁度、その時富山に美術館のやうなものが出來て、第一に夢二の盾陳列するつていふことになつたんだ。それでその盾フ陳列所の部屋やなにかを裝飾しなければならないのでその裝飾をやらして貰ふことになつた。それで僕も手傳つて、三階の表に階子をかけて、僕の書いたその正面の盾ェ、別に風俗をみだすやうなものでもなんでもないのに、風俗をみだすものだと云つて來たので、僕にもう一度あの盾つぶして、あの上からもう少し別な盾書いてくれつて云つて來た。それで僕は、それじや書きなほしていゝと云つて宿屋の歸ると、どうしても三階まで階子をかけて、あの盾書きなほすことが、[#底本では句点]厭で厭でならないんだ。[#底本では読点]それに村田といふ男と一所になつて、こんな仕事をしてるのも堪えられなくなつたんだ。僕は女中に煙草を買ふから五錢借してくれと云つて借りると、盾フ具箱を肩にかけて、そのまゝ宿屋を逃げてしまつた。それで、僕は村田といふ男と、そこからすつかり別れてしまつて、たつた一人になつたんだ。僕は、それから僕一人の力で、本當に悲痛な思をしながら歩き初めたんだ。
 僕は富山を出ると、滑川をへて三橋についた。そこで街にあるペンキ屋を訪づねて仕事をさせて貰はふと思ふと、丁度いまなんにも仕事がないといつて、わらじ錢十錢をくれた。僕はそれでみんな芋を買つてしまつたのさ。その三橋つていふのは、蜃氣樓で有名な土地なんだ。そして浪がはげしいので、ずつと一里あまりのコンクリートの防波堤がつゞいてゐて、片方は海で絶壁になつて、一方はなゝめに漁師の家がつゞいてゐる。その上を一人でずつとなんといふこともなく散歩するやうに歩いたんだ。すると夜になつてしまつて、空に星が一ぱいに出たのだ。僕は途中でコモを一枚ひろつて、そしてそのコモを被るとコンクリートの上に寢たんだ。けれども二時頃になると眼がさめてねられないで僕は二時頃から歩き出した。
 その時僕は、前に袷であつたのを只自分で裏と表をはがして單衣にして、裾の方から絲くづがぽろぽろさがつてゐるそのまゝな汚ない着物を着て、鳥打帽子をかぶり裸足で歩いて魚津に出た。そしてあるペンキ屋を訪づねてそこで、一枚二錢のボール紙にペンキで富士山やなにかの盾、四十枚ほど書いた。さういふ盾ヘ田舍の學校などで、一枚三四十錢位で飛ぶやうにして、賣れるんだそうだ。それで丁度そこに放浪して來てゐた小學教員上りがあつて、その男がそれを持つて賣りに行くことになつて、その盾持つて出て行つたつきり、どうしたのか歸つて來ない。それで仕方がないので、そこを出て堺に來た。堺には温泉場があつて、みんなが大勢温泉に入つてるんだ。僕は只で入れるのかと思つて行くとやはり金を出さなければならないので僕はそこを出ると停車場に行つた。そしてその時一枚ばかり持つてた、ボール紙にかいたペンキ畫を、持つてまわつてその邊にゐる人に買つてくれとたのんだんだ。所が一人の人が買つてくれて、漸く四十錢ばかりの金が出來たのさ。それから砂の白い日本海岸を歩き出した。丁度海岸に出たのは、十時頃で、家々の屋根まで白く見えて、非常に寂しいのだ。そしてその時小學校時代の女の友だちに偶然逢つたのさ。その女もなんだかいまゝでゐた家を逃げ出して、富山の方に行かふとしてゐる所だつたらしい。
 そのうちに波が非常に荒れて來て、雷がひどく鳴り出すと、雨が急にはげしくふり出した。僕はどうすることも出來ないんで、丁度海岸にあつた、網干場の小屋に入つた。するとその烈しい雷雨と波風のなかを、十匹あまりの犬が來てその小屋をかこむと、非常に吠えるんだ。それに小屋のなかには、蚊が無數にゐて僕の着物の上からさす。その上に雨がなか/\ひどいもんだから、屋根から雨がもれ初めたんだ。そしてだん/\波がひどくなつて來て、僕の入つてる小屋までもさらはれさうになつたんだ。外は眞暗だ。
 僕は決心して裸になると、嵐のなかの小屋を飛び出した。そしてその海岸の崖[#底本では「涯」]を登り初めた。もうその時は殆ど夢中で意識を失つてゐたんだね。死にもの狂ひになつて絶壁に登りつくと、遙に東の空が白ずんでゐる。さうしてゐるうちに日が登り初めた。僕はその時立ち上つて太陽の上るのを見てゐると唯、涙が慘然として流れて來たんだ。それからしばらくたつて歩き出すと、一軒の茶屋があつたんで、そこで飯を食はふと思つても飯が咽喉に入つて行かないんだ。それで味噌汁の汁だけを五六杯吸はせて貰ひいくらだと聞くと四錢でいゝと云ふのだ。それで四錢をおいて、その日は一日夢中で歩き出した。そしてその日は、非常に東京のことや家のことがなるかしくて、親が戀しくてならなかつたんだ。そして歩いてゐるうちに、着物の裾で兩足の後がすれて、切れたやうになつて、それに足がはれ出して、歩くことが出來ないやうになつて來た。僕はそれで一軒の小學校に立寄つて、裸足ではとても駄目なのでわらじを貰つてはいたんだ。丁度そこからは佐渡の島が見えた。そして直江津の附近で、直江津の祭りの前なんだ。
 僕は、それから直江津で、氷水屋の看板を書いたり等して、三十錢貰つた。それから二里ばかりの間を高田に出た。そして高田のあるペンキやから二十錢貰つたけれども、どうすることも出來ないので駐在所に行つて泊めて貰はふと思つたんだ。所が若い巡査が僕を見て、なにか惡いことをして逃げて來たにちがいないと云つて叱るんだ。僕は一生懸命になつてけつしてさういふ者ではないと、ありのまゝを白状すると、老年巡査が出て來て、僕に非常に同情して、その夜はその巡査の家に泊つた。所が翌朝眼が覺めても床を出ることが出來ないんだ。足がすつかりはれて動かすことも出來ず、身體中がどこもかしこも痛いんだ。それでとうとう一週間以上もそこの家で、そのまゝ床につきつきりになつてしまつたのさ。その巡査は丁度自分の息子を東京の中學校に出してるものだから、それを云ひ出しては、丁度自分の息子とおなしやうな氣がすると云つて、それはどこからどこまでも親切にしてくれるんだ。そして漸く起き上られるやうになつて、少しづゝ歩き出す時になると、そこの家の娘が自分に肩をかしてくれたりなんかして、丁度弟のやうに庭を歩いたりするやうになつた。そしてしばらく經つと、すつかりなほつてしまつた。
 その老巡査があんまりいゝ人なのに、細君と來たら、またその巡査よりもいゝ人なんだ。僕はそこの家の人たちのあまりに親切なのに心苦しくなつて、その翌日とめるのもかまはず、そこの家を出た。そしてその家を出るとまた氣が變つて、北海道にまで行つて見やうかと思つて、越後の長岡まで行つた。丁度別れてしまつたあの村田といふ男が今度これから北海道の方に行くんだつて、いつ※[#かな不明]も云つてゐたのさ。僕はそれを思出すと自分も行つて見たい氣になつてしまつたんだ。僕が、その巡査の家を出る時、そこの家で金をくれたんだ。
 長岡では、丁度知つてる友だちにあつて、その友だちが自分の盾二科會に出品するといつて東京に送る時、どこで書いたか忘れてしまつたけれども、僕の盾烽ツいでに入れてやつたんだ。するとその盾ェうまく通つたのさ。僕が新聞を見ると畫題も賣價もつけた覺えがないのに、いつの間にか畫題がついて賣價までがついてゐるのだ。その盾ヘ「詩を思ふ日」と云ふんだ。そして今考へると、自分が書いたとはとても思はれない妙な眞黒な盾ナ、上の方に木が三本あつてその下を、コモをかぶつたやうな男がたつた一人歩いてるやうな、なんでもそんなやうな盾ネのさ。
 所が、僕の家では非常に心配してゐるので僕の出した手紙を見ると、すぐ父親が高田に來て、僕の泊つてゐた巡査の家を訪づねたのだそうだ。けれども僕は、家に手紙を出した翌日その家を出てしまつたので、それに行先を云はなかつたから、そこの家でも僕がどこに行つたかわからなくなつてしまつたんだ。
 僕は、長岡まで行つたけれども、とても北海道には渡られないと思つた。さうしてまた高田に戻つて來た。けれども僕はその時巡査の家にはよらずに信州の長野に行つた。そして長野のペンキ屋で仕事をさせて貰つてゐるうちに、その街の洋服屋と懇意になつた。その洋服屋でぜひ自分の家に來てくれつて云ふから今度は、その洋服屋に行つたんだ。その洋服屋では馬鹿に僕を可愛がつてくれてね、着物やなんかを自分の家の子供のやうに作つてくれたり、盾ェ描きたければ盾描いたらいゝだらうつて、入用のものを買つてくれたりする。僕は丁度そこの家の子供のやうになつて毎日ぶら/\して暮してゐるうちに、そこで正月をしてしまつたんだ。そこの家では、もう東京に歸らずに、ずつと家にゐてくれつて、なかなかはなさないのだ。そして僕にどうしてこんな所に來るやうになつたかなんていふことを訊づねたり、僕の家のことを聞いたりした。僕が旅でこまつた話しをすると、涙をながすばかりに同情して、氣の毒がるんだ。僕はその家にとう/\、一月から三月までゐてしまつた。けれどももう三月になると、東京に歸りたくつて仕方がないんだ。家に手紙を出すと、すぐ歸つて來いと電報を打つてよこした。着物や金も送つて來た。僕が東京に出發つ時、その洋服屋の人たちは停車場まで送つて來て泣くんだ。
 東京について汽車から降りると、今度は家中のものが父親から母親から兄や妹まで、家中のこらず僕を迎へに來てる。そして僕の顏を見ると、みんな涙をこぼすんだ。僕たちは、それからみんなで俥ににのつて家に歸つて來たんだ。
 丁度一年、家に便りもせずに放浪して歸つて來たので、それからといふものは、毎日/\母親が僕にその間のはなしを聞いては泣き出すんだ。そしてその間のまた自分たちの心配を思出しては、また涙ぐむのだ。僕の十七の時に初めてした旅は、丁度滿一年で終つて東京に歸つて來たんだ。(と、彼はこのあいだ旅の話しを終へて息をついた。そして、彼はまた新たに考へるやうにして、言葉に力を入れるとまたつけ加へた。)
 僕は、その旅行をおへてしまつてから、すつかり人間が變つてしまつたんだ。急に大人になつてしまつて、東京に歸つて來た時は實際自分でも不思議な位、變つたことがわかるんだ。家を出た時は、家のものも子供あつかいにしてゐたし、妹たちとはさわぐ、目上や目下、父親や母親の差別がわからないほど我儘で、きかんぼだつたのが、その旅をおへて家に歸ると、僕は父親や母親にはすつかりちやんと挨拶をするし、兄は兄、妹は妹のやうに對するんだ。そして僕には、すべてのものゝわけへだてが明らかに目につくやうになつて來た。僕の親たちは、僕を非常に怜悧になつたつて云ふんだ。僕は妹たちと爭はふと思はなくなつたし、兄のやることはじつと見てるやうになつた。たつた、一年の間だけれども、前の年の三月と、歸つて來た時の三月とは、どんなこまやかな物に對する心持までがすつかりかはつてしまつてるんだ。そしてそれまでの自分が、まるで夢のやうに思へるのさ。
 それからの僕は、その旅行といふものがすべてに影響してると思ふ。僕は本當に米の味と、錢の有がた味を考へることが出來る。あの旅行といふものは、たしかに僕にとつては、一つの大きなかはりめだつたと思ふんだ。そしてそれはいゝ意味での、僕はけつしてその旅行を無駄であつたとは思はない。僕の親たちも、きつと心ではそう思つてるに違ひないんだ。けれども僕がこの話しを人にするのを親たちは非常にいやがつてゐる。友だちなんかゞ來て僕がふとその時の、ある夕方のことなんかを思出して話してゐると、あとで母親は、僕に「およし、およし。」ととめるんだ。母親には、まだ自分の最愛の一人の息子が、知らない土地で乞食のやうになつて歩き、勞働者のやうに疲れてうゑて、よごれて、貧しい食を求めていたといふことが、堪えがたいんだらうと思ふんだ。たしかに息子は、それが爲めに前よりもずつと利口に偉くなつたとは思ふが、只、そんな事を云はれるのが堪えられないんだ。自分の罪でもくりかへされるやうに――。[#地つき]終り

底本:「黒潮」太陽通信社
   1917(大正6)年9月号


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