橘令嬢の洋琴独弾「ロンドオ」は主部の「テエマ」殊に美しく音階の上下に巧緻の術を尽くし、年来音楽学校洋琴弾奏の欠点と称せらるゝ表情欠乏の誹りを黙せしむる計の妙技を振はれたり。弾指柔腕にして毫も肢体の力を仮りず、又「ペダル」の用法其肯綮を得て適当中庸の趣を具へたるなど、弾奏法に於て間然する所なし。同嬢が数年来会に出る毎に秀抜の技倆を示して喝采を博するは、主として拍子律呂の正確を期して、寸毫の瑕疵をゆるさず、僅少の欠点をも怠らず、勉めて止まざる美術的良心の熾盛なるに因らずんばあらず。橘嬢の如きは真に美術家の素あるものなり。宜きなる哉「カプリチオ」の変幻を尽し、主部副部の発展経路を詳にしたる「ロンドオ」の本意を顕はし、「テクニツク」の妙を揮へるも、同声会秋期演奏の白眉は実に橘令嬢が洋琴独奏なりと謂ふ可し。(さかき・うへだ)

「読売新聞」明治二九年一一月一一日〜一二日掲載「同声会演奏批評」より。
「定本上田敏全集 第七巻」所収。

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