竹柏園の八佳人の中のひとりといふなる橘の絲重子が日頃埋木のかひなき名をば今日こそ知らさめとの出で立ちけなげに、腕に捻りかけて、身はかよはき婦人にてありながら此の難曲を奏すること元より彼の御手なみには左ほどには思し召されざらんなれど、吾人の目よりは稍々重荷の感無きこと能はず、彼が苦しんでこの難曲に献じられたる拐~は、吾人の等しく謝意を表すべきところなり。実は吾人はかゝる大曲を褒貶するの眼識なきを耻づるのみ。徒らに文筆を弄して名玉に瑾を附くるは本意に非ず、おほけなくも拝聴したる嬉しさは、返す返すも吾人を完全なる聴衆と見上げて自ら苦しんで貢献せられしその誠意を謝するのみ、一点の欠処も摘むことも能はざるなり。かゝる難曲を難とせずして発想も頗る当を得、極めて巧妙に、行く雲も停めつべく梁の塵も動きぬらん。ピアノのわたりに小さき羽のそびらに生ひたる稚児が上に下にさまよひいざよひ、あこがれて聞き恍る、ミューズの神の今は何処にかなど思はれていとあでやかにたふとしとこそ思ひつれ、まことに師匠ケーベル博士的の撰曲にして指づかひも発想も頗る髣髴たるものあり。

「東京音楽学校秋期演奏会批評」『音楽の友』より。「本邦洋楽変遷史」所収

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